SRI と ARC
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 14:57 UTC 版)
「ダグラス・エンゲルバート」の記事における「SRI と ARC」の解説
1957年、スタンフォード大学と当時関わりが深かった SRIインターナショナル(当時はスタンフォード研究所)に雇われた。当初はヒューイット・クレーンの磁気デバイスの研究と電子部品の小型化の研究を手伝った。SRIで徐々に1ダースほどの特許を取得し(バークレー時代の研究に基づいた特許も含まれる)、1962年には長年温めていたビジョンについて Augmenting Human Intellect: A Conceptual Framework(人類の知性の増強: 概念的フレームワーク)と題したレポートをまとめ、研究を提案した(翌1963年にはA conceptual Framework for the Augmentation of Man's Intellect(人間の知性の増幅のための概念的枠組み)を公表している)。 この提案によりARPAから予算がつき、作業を開始することになった。新たに オーグメンテイション研究センター (ARC) をSRI内に創設し、研究員を集め、oN-Line System (NLS) の開発と設計を主導した。ARCでは、ビットマップ・スクリーン、マウス、ハイパーテキスト、グループウェア、先駆的なグラフィカルユーザインタフェース (GUI) などのインタフェース要素を開発した。彼は1960年代中ごろにユーザインタフェース (UI) のアイデアの多くを考案し開発した。そのころパーソナルコンピュータはもちろんないし、コンピュータは一般の人々には遠い存在で直接使用するなどほとんどあり得なかったし、ソフトウェアも個々のシステム向けの専用アプリケーションとして書かれることが多かった。 1967年、エンゲルバートはマウスの特許を申請し、1970年に取得した(アメリカ合衆国特許第 3,541,541号)。マウスが開発されたのはその数年前で、エンゲルバートのアイデアに基づいてビル・イングリッシュが設計・開発した。その特許では "X-Y position indicator for a display system"(表示システムのためのX-Y位置指示器)とされており、金属ホイールを2つ持つ木製のマウスであった。エンゲルバートによれば、「マウス」と名づけられたのはしっぽに相当するコードが後ろ(というか利用者から見て手前)にあったためだという。また、スクリーン上のポインタは「バグ」と呼んでいたが、この用語は定着しなかった。 エンゲルバートはマウスの発明に関してロイヤルティーを受け取ったことはない。その第一の理由は、特許が1987年に失効したため、パーソナルコンピュータでマウスが必須のデバイスとなる前だった点が挙げられる。第二に実際に製品化されたマウスは彼の特許に記載されていたのとは異なる(改良された)機構を使用していた。インタビューで彼は「SRIはマウスの特許を取らせたが、その価値を理解していなかった。後で知ったことだが、SRIはアップルに4万ドルかそこらでライセンス提供したんだ」と証言している。エンゲルバートは数々の発明品を統合して、1968年12月9日のコンピュータ会議 (Fall Joint Computer Conference) でデモンストレーションを行った。これはアメリカなどでは「すべてのデモの母(The Mother of All Demos)」と呼ばれている。
※この「SRI と ARC」の解説は、「ダグラス・エンゲルバート」の解説の一部です。
「SRI と ARC」を含む「ダグラス・エンゲルバート」の記事については、「ダグラス・エンゲルバート」の概要を参照ください。
- SRI と ARCのページへのリンク