PRIDE 男祭り 2006
(Pride Shockwave 2006 から転送)
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PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU- | ||
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イベント詳細 | ||
シリーズ | PRIDE男祭り | |
主催 | DSE | |
開催年月日 | 2006年(平成18年)12月31日 | |
開催地 | ![]() 埼玉県さいたま市 |
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会場 | さいたまスーパーアリーナ | |
開始時刻 | 午後4時 | |
試合数 | 全10試合 | |
放送局 | スカイパーフェクTV! | |
入場者数 | 48,709人 | |
イベント時系列 | ||
PRIDE 武士道 -其の十三- | PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU- | PRIDE.33 "THE SECOND COMING" |
PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU-(プライド おとこまつり にせんろく ふめつ)は、日本の総合格闘技イベント「PRIDE」の大会の一つ。2006年(平成18年)12月31日、埼玉県さいたま市のさいたまスーパーアリーナで開催された。
大会キャッチコピーは、「誇りは、誰にも奪えない。」。
大会概要
PRIDE最後の大晦日興行。
ヘビー級タイトルマッチは、マーク・ハントが試合前の予想を大きく上回り健闘するも、エメリヤーエンコ・ヒョードルがノゲイラ、ミルコに続き3度目の王座防衛に成功した。
ジョシュ・バーネットとアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラの再戦は、接戦の末ノゲイラが判定勝ちし、リベンジを果たした。
郷野聡寛はリトル清原をゲストに引きつれ入場、試合中の骨折により満足な試合展開は出来なかったものの近藤有己に5年前の雪辱を果たした。
青木真也はヨアキム・ハンセンを三角絞めの体勢からフットチョーク(公式記録はトライアングルチョーク)を極め一本勝ち。
総合格闘技デビュー戦となったアトランタオリンピック・シドニーオリンピックレスリング銅メダリストのエルダリ・クルタニーゼは、藤田和之にギブアップ負け。
試合結果
- 第1試合 ミドル級ワンマッチ 1R10分、2・3R5分
-
○
田村潔司 vs.
ミノワマン ×
- 1R 1:18 KO(サッカーボールキック)
- 第2試合 ライト級ワンマッチ 1R10分、2R5分
-
○
青木真也 vs.
ヨアキム・ハンセン ×
- 1R 2:04 トライアングルチョーク
- 第3試合 ウェルター級ワンマッチ 1R10分、2R5分
-
○
郷野聡寛 vs.
近藤有己 ×
- 2R終了 判定2-1
- 第4試合 ミドル級ワンマッチ 1R10分、2・3R5分
-
○
マウリシオ・ショーグン vs.
中村和裕 ×
- 3R終了 判定3-0
- 第5試合 ライト級ワンマッチ 1R10分、2R5分
-
○
ギルバート・メレンデス vs.
川尻達也 ×
- 2R終了 判定3-0
- 第6試合 ヘビー級ワンマッチ 1R10分、2・3R5分
-
○
藤田和之 vs.
エルダリ・クルタニーゼ ×
- 1R 2:08 KO(右アッパー→パウンド)
- 第7試合 ライト級ワンマッチ 1R10分、2R5分
-
○
五味隆典 vs.
石田光洋 ×
- 1R 1:14 KO(左ストレート→パウンド)
- 第8試合 ヘビー級ワンマッチ 1R10分、2・3R5分
-
○
ジェームス・トンプソン vs.
吉田秀彦 ×
- 1R 7:50 TKO(タオル投入:マウントパンチ)
- 第9試合 ヘビー級ワンマッチ 1R10分、2・3R5分
-
○
アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ vs.
ジョシュ・バーネット ×
- 3R終了 判定3-0
- 第10試合 PRIDEヘビー級タイトルマッチ 1R10分、2・3R5分
-
○
エメリヤーエンコ・ヒョードル vs.
マーク・ハント ×
- 1R 8:19 チキンウィングアームロック
- ※ヒョードルが王座の3度目の防衛に成功
関連項目
外部リンク
- PRIDE公式サイトによる試合結果 - Internet Archive
- スポーツナビによる試合結果
- ライブドアニュースによる試合結果
- バウトレビューによる試合結果
- GBRによる試合結果
- SHERDOGによる試合結果
「Pride Shockwave 2006」の例文・使い方・用例・文例
- “Pride goes before a fall”はどういう意味か
- 国会議員年金は、2006年4月1日をもって廃止された。
- フランスの初回雇用契約は2006年4月10日に撤回された。
- 時短促進法は2006年3月末に期限が切れた時限立法であった。
- 労働審判制度は、2006年に労働審判法によって導入されました。
- このメールは2006年に送った。
- あなたは2006年に長野に行きましたか。
- あなたは2006年に長野に行きませんでした。
- 2006年
- トルコとの試合終了後,トルシエ監督は,「日本の冒険は終わった。日本代表チームの監督を務めたことを誇りに思う。監督としてのこの4年間はすばらしいものだった。これから日本は,2006年W杯に向けて努力しなければならない。代表チームのダイナミックで野心的なプレイは世界に印象を与えたと思う。チームのメンバーそれぞれが,自分自身の能力に自信を持つべきだ。」と語った。
- ジーコ新監督とともに,日本は次の2006年ワールドカップに向けて活動を始めた。
- この試合は,2006年ワールドカップドイツ大会に向けての第一歩だった。
- 彼らの成績は,2006年のトリノ冬季五輪に望みを与えてくれる。
- 遺跡の範囲を判断する取り組みは,2006年まで続く予定だ。
- 日本が2006年ワールドカップの出場のチャンスを失えば,(テレビ)放送のスポンサーはおそらくサッカーに興味をなくすだろう。
- 2006年のトリノ五輪では, 1500メートル種目に出場し,金メダルを目指してその種目に集中したいと思っています。
- それらの対策は,2006年末までに実施される予定だ。
- 2006年末には,すべての外国人は,日本に入国する際に指紋採取や写真撮影されなくてはいけなくなる。
- その上,中国は,アジア1次予選で2006年ワールドカップから脱落した。
- 当初は,新札による旧札の入れ替えは,2006年11月に終わることになっていた。
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