PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUND
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PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUND | ||
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イベント詳細 | ||
シリーズ | PRIDE(PRIDE GRANDPRIX) | |
主催 | DSE | |
開催年月日 | 2006年(平成18年)7月1日 | |
開催地 | ![]() 埼玉県さいたま市 |
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会場 | さいたまスーパーアリーナ | |
開始時刻 | 午後4時 | |
試合数 | 全9試合 | |
放送局 | スカイパーフェクTV! | |
入場者数 | 44,606人 | |
イベント時系列 | ||
PRIDE 武士道 -其の十一- | PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUND | PRIDE 武士道 -其の十二- |

PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUND(プライド むさべつきゅうグランプリにせんろく セカンドラウンド)は、日本の総合格闘技イベント「PRIDE」の大会の一つ。2006年(平成18年)7月1日、埼玉県さいたま市のさいたまスーパーアリーナで開催された。海外PPVでの大会名は、「PRIDE Critical Countdown Absolute」。
大会キャッチコピーは「奈落へ昇れ。」。
大会概要
エメリヤーエンコ・ヒョードルの負傷欠場により、ヴァンダレイ・シウバがミドル級代表として急遽参戦し、ヘビー級の藤田和之と対戦。持ち前のラッシングファイトでTKO勝ちを収めた。
吉田秀彦はミルコ・クロコップにTKO負けを喫し、これにより日本勢は全滅した。
ジョシュ・バーネットはマーク・ハントから秒殺の一本勝利を挙げ、一躍優勝候補の筆頭に。ファブリシオ・ヴェウドゥムは善戦するもアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラに判定で敗れた。
キャリア9戦全勝のエジソン・ドラゴがPRIDEデビュー。
試合結果
- 第1試合 ヘビー級ワンマッチ 1R10分、2・3R5分
-
○
パウエル・ナツラ vs.
エジソン・ドラゴ ×
- 1R 4:33 腕ひしぎ十字固め
- 第2試合 ヘビー級ワンマッチ 1R10分、2・3R5分
-
○
中尾"KISS"芳広 vs.
イ・ウンス ×
- 1R 4:16 TKO(ドクターストップ:左目の負傷)
- 第3試合 ミドル級ワンマッチ 1R10分、2・3R5分
-
○
ビクトー・ベウフォート vs.
高橋義生 ×
- 1R 0:36 KO(左フック)
- 第4試合 ミドル級ワンマッチ 1R10分、2・3R5分
-
○
アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ vs.
アリスター・オーフレイム ×
- 2R 2:13 TKO(タオル投入:スタンドパンチ連打)
- 第4試合 ミドル級ワンマッチ 1R10分、2・3R5分
-
○
中村和裕 vs.
エヴァンゲリスタ・サイボーグ ×
- 1R 4:49 V1アームロック
- 第6試合 PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2回戦 1R10分、2・3R5分
-
○
アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ vs.
ファブリシオ・ヴェウドゥム ×
- 3R終了 判定3-0
- ※ノゲイラがグランプリ準決勝進出
- 第7試合 PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2回戦 1R10分、2・3R5分
-
○
ヴァンダレイ・シウバ vs.
藤田和之 ×
- 1R 9:21 TKO(タオル投入:サッカーボールキック)
- ※シウバがグランプリ準決勝進出
- 第8試合 PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2回戦 1R10分、2・3R5分
-
○
ジョシュ・バーネット vs.
マーク・ハント ×
- 1R 2:02 チキンウィングアームロック
- ※バーネットがグランプリ準決勝進出
- 第9試合 PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2回戦 1R10分、2・3R5分
-
○
ミルコ・クロコップ vs.
吉田秀彦 ×
- 1R 7:38 TKO(タオル投入:ローキック連打)
- ※ミルコがグランプリ準決勝進出
関連項目
- PRIDEの大会一覧
- 吉岡美穂 - 当日の中継にゲストコメンテーターとして出演した。
外部リンク
- PRIDE公式サイトによる試合結果 - Internet Archive
- スポーツナビによる試合結果
- バウトレビューによる試合結果
- GBRによる試合結果
- SHERDOGによる試合結果
「PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUND」の例文・使い方・用例・文例
- ヒット曲「PRIDE」を歌う予定だ。
- 国会議員年金は、2006年4月1日をもって廃止された。
- フランスの初回雇用契約は2006年4月10日に撤回された。
- 時短促進法は2006年3月末に期限が切れた時限立法であった。
- 労働審判制度は、2006年に労働審判法によって導入されました。
- このメールは2006年に送った。
- あなたは2006年に長野に行きましたか。
- あなたは2006年に長野に行きませんでした。
- 2006年
- トルコとの試合終了後,トルシエ監督は,「日本の冒険は終わった。日本代表チームの監督を務めたことを誇りに思う。監督としてのこの4年間はすばらしいものだった。これから日本は,2006年W杯に向けて努力しなければならない。代表チームのダイナミックで野心的なプレイは世界に印象を与えたと思う。チームのメンバーそれぞれが,自分自身の能力に自信を持つべきだ。」と語った。
- ジーコ新監督とともに,日本は次の2006年ワールドカップに向けて活動を始めた。
- この試合は,2006年ワールドカップドイツ大会に向けての第一歩だった。
- 彼らの成績は,2006年のトリノ冬季五輪に望みを与えてくれる。
- 遺跡の範囲を判断する取り組みは,2006年まで続く予定だ。
- 日本が2006年ワールドカップの出場のチャンスを失えば,(テレビ)放送のスポンサーはおそらくサッカーに興味をなくすだろう。
- 2006年のトリノ五輪では, 1500メートル種目に出場し,金メダルを目指してその種目に集中したいと思っています。
- それらの対策は,2006年末までに実施される予定だ。
- 2006年末には,すべての外国人は,日本に入国する際に指紋採取や写真撮影されなくてはいけなくなる。
- その上,中国は,アジア1次予選で2006年ワールドカップから脱落した。
- 当初は,新札による旧札の入れ替えは,2006年11月に終わることになっていた。
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