PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦
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PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦 | ||
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イベント詳細 | ||
シリーズ | PRIDE(PRIDE GRANDPRIX) | |
主催 | DSE | |
開催年月日 | 2006年(平成18年)9月10日 | |
開催地 | ![]() 埼玉県さいたま市 |
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会場 | さいたまスーパーアリーナ | |
開始時刻 | 午後2時 | |
試合数 | 全9試合 | |
放送局 | スカイパーフェクTV! | |
入場者数 | 47,410人 | |
イベント時系列 | ||
PRIDE 武士道 -其の十二- | PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦 | PRIDE.32 "THE REAL DEAL" |
PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦(プライド むさべつきゅうグランプリにせんろく けっしょうせん)は、日本の総合格闘技イベント「PRIDE」の大会の一つ。2006年(平成18年)9月10日、埼玉県さいたま市のさいたまスーパーアリーナで開催された。海外PPVでの大会名は「PRIDE Final Conflict Absolute」。
大会キャッチコピーは「独りで挑んだ。独りじゃなかった。」。
大会概要
準決勝第1試合ではミルコ・クロコップがヴァンダレイ・シウバを左ハイキックで失神KO、因縁の再戦を完全勝利で収める。準決勝第2試合ではジョシュ・バーネットとアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラがPRIDE史上No.1ともいえるハイレベルなグラウンドの攻防を展開。僅差の判定をジョシュが制し、決勝はミルコとジョシュとの3度目の対決になった。
決勝では激戦をミルコが制し、K-1時代を含め自身初のチャンピオンに輝き、エメリヤーエンコ・ヒョードルとの再戦の権利を手にした。
試合結果
- 第1試合 ミドル級ワンマッチ 1R10分、2・3R5分
-
○
エヴァンゲリスタ・サイボーグ vs.
西島洋介 ×
- 1R 3:24 スリーパーホールド
- 第2試合 PRIDE 無差別級グランプリ 2006 準決勝 1R10分、2R5分
-
○
ミルコ・クロコップ vs.
ヴァンダレイ・シウバ ×
- 1R 5:26 KO(左ハイキック)
- ※ミルコがグランプリ決勝進出
- 第3試合 PRIDE 無差別級グランプリ 2006 準決勝 1R10分、2R5分
-
○
ジョシュ・バーネット vs.
アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ ×
- 2R終了 判定2-1
- ※バーネットがグランプリ決勝進出
- 第4試合 PRIDE 無差別級グランプリ 2006 リザーブマッチ 1R10分、2・3R5分
-
○
エメリヤーエンコ・アレキサンダー vs.
セルゲイ・ハリトーノフ ×
- 1R 6:45 TKO(レフェリーストップ:パウンド)
- ※アレキサンダーがリザーブ権獲得
- 第5試合 ヘビー級ワンマッチ 1R10分、2・3R5分
-
○
ヒカルド・モラエス vs.
イ・テヒョン ×
- 1R 8:08 TKO(タオル投入:負傷)
- 第6試合 ヘビー級ワンマッチ 1R10分、2・3R5分
-
○
中村和裕 vs.
中尾"KISS"芳広 ×
- 3R終了 判定3-0
- 第7試合 ミドル級ワンマッチ 1R10分、2・3R5分
-
○
マウリシオ・ショーグン vs.
ザ・スネーク ×
- 1R 5:29 TKO(レフェリーストップ:踏みつけ)
- 第8試合 ミドル級ワンマッチ 1R10分、2・3R5分
-
○
ヒカルド・アローナ vs.
アリスター・オーフレイム ×
- 1R 4:28 ギブアップ(パウンド)
- 第9試合 PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦 1R10分、2R5分
-
○
ミルコ・クロコップ vs.
ジョシュ・バーネット ×
- 1R 5:32 ギブアップ(パウンド)
- ※ミルコがグランプリ優勝
関連項目
外部リンク
「PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦」の例文・使い方・用例・文例
- ヒット曲「PRIDE」を歌う予定だ。
- 国会議員年金は、2006年4月1日をもって廃止された。
- フランスの初回雇用契約は2006年4月10日に撤回された。
- 時短促進法は2006年3月末に期限が切れた時限立法であった。
- 労働審判制度は、2006年に労働審判法によって導入されました。
- このメールは2006年に送った。
- あなたは2006年に長野に行きましたか。
- あなたは2006年に長野に行きませんでした。
- 2006年
- トルコとの試合終了後,トルシエ監督は,「日本の冒険は終わった。日本代表チームの監督を務めたことを誇りに思う。監督としてのこの4年間はすばらしいものだった。これから日本は,2006年W杯に向けて努力しなければならない。代表チームのダイナミックで野心的なプレイは世界に印象を与えたと思う。チームのメンバーそれぞれが,自分自身の能力に自信を持つべきだ。」と語った。
- ジーコ新監督とともに,日本は次の2006年ワールドカップに向けて活動を始めた。
- この試合は,2006年ワールドカップドイツ大会に向けての第一歩だった。
- 彼らの成績は,2006年のトリノ冬季五輪に望みを与えてくれる。
- 遺跡の範囲を判断する取り組みは,2006年まで続く予定だ。
- 日本が2006年ワールドカップの出場のチャンスを失えば,(テレビ)放送のスポンサーはおそらくサッカーに興味をなくすだろう。
- 2006年のトリノ五輪では, 1500メートル種目に出場し,金メダルを目指してその種目に集中したいと思っています。
- それらの対策は,2006年末までに実施される予定だ。
- 2006年末には,すべての外国人は,日本に入国する際に指紋採取や写真撮影されなくてはいけなくなる。
- その上,中国は,アジア1次予選で2006年ワールドカップから脱落した。
- 当初は,新札による旧札の入れ替えは,2006年11月に終わることになっていた。
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