Osborne_1とは? わかりやすく解説

Osborne 1

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/19 05:30 UTC 版)

Osborne 1
開発元 アダム・オズボーン
種別 ポータブルコンピュータ
発売日 1981年
標準価格 1795USドル
販売終了日 1983年
OS CP/M
CPU Zilog Z80 @ 4.0 MHz
メモリ 64 kB

Osborne 1(おずぼーんわん)は、オズボーン・コンピュータ1981年4月3日にリリースし商業的に成功した最初の持ち運び可能な「オールインワン」マイクロコンピュータである[1]。重量は10.7kgで、価格は1795USドル[2]オペレーティングシステムとしては当時人気のあった CP/M 2.2 が動作。OS以外のソフトウェアも多数バンドルしており、それらを別々に買うと総額がマシン本体と同程度になる。このような販売手法は他のCP/Mコンピュータ業者も追随することになった。

このマシンの一番の問題点は、5インチの小さなディスプレイと容量が小さすぎて実際のビジネス用途では使い物にならないフロッピーディスク(片面単密度)にある。

市場での経過

設計は、1976年パロアルト研究所アラン・ケイが試作したゼロックスNoteTakerに強く影響されている[3]。Osborne 1 はリー・フェルゼンスタインが設計し、アダム・オズボーンが開発した。1981年4月に発表。アダム・オズボーンはコンピュータ関係の書籍を書いており、コンピュータの価格破壊を起こしたいと考えていた。

持ち運び可能なデザインであり、ABS樹脂製のケースに持ち手がついている[4]ミシンほどの大きさと重さで、旅客機の座席の下に納まる唯一のコンピュータだと宣伝された[2]HC-20のようなポータブルコンピュータに比べると重く、今では luggable(移動可能、可搬)という方がふさわしい。

不恰好なデザイン(第二次世界大戦中の携帯ラジオDC-3の計器パネルの中間[5])と重さ(フェルゼンスタインは2台の Osborne 1 を見本市会場までの4ブロック徒歩で運ぼうとして「両腕が肩から抜けそうになった」と述懐している[6])にもかかわらず、発表後の8カ月間で11,000台を売り上げた[7]。ピーク時の売り上げは1カ月で1万台に達している[7]1981年9月、Osborne Computer Company は1カ月の売り上げが100万ドルを突破した。同社が Osborne Executive英語版 などの改良した後継機を早まって発表したため、売り上げが急速に低下した[8]。このような現象を後にオズボーン効果と呼ぶようになった。

オズボーンは1982年から1985年までユーザー向けの雑誌 The Portable Companion を発行していた[9]

プロトタイプ

リー・フェルゼンスタインの電子メールによれば、製品化までに10台のプロトタイプが試作されたという[10]

これは "metal case" と呼んでいた最初の10台のプロトタイプの1つだ。シリアル番号は付与されていないと思う。カリフォルニア州ヘイワードの Galgon Industries がケースを作ったが、量産の際の単価が法外で、プラスチックケースにすぐ切り替えた。回路基板は1981年1月に完成していて、そのすぐ後にプロトタイプを組み立てた。最初の広告 ("the guy on the left doesn't stand a chance") の写真に使われている。30ポンドの重量のプロトタイプを持っている手の血管が浮き上がっている奴だ。1981年のウェスト・コースト・コンピュータ・フェアや National Computer Conference にもこういうプロトタイプを持っていった。

競合

Osborne 1 は他のコンピュータメーカーに真似をされ、より低価格のコピー商品が出回った。結局、ケイプロ社のKaypro II というよく似たマシンが Osborne 1の人気を奪うことになる。Kaypro II はより実用的な24行×80桁表示可能な9インチディスプレイと倍密度フロッピーを装備していた。オズボーン・コンピュータはケイプロの挑戦に対して有効な対抗策を打ち出せないまま、CP/Mベースの8ビットコンピュータの時代は終焉を迎えた。IBM最初のパーソナル・コンピュータをリリースしたのは、1981年8月であり、互換機が活況を呈するまでそれほど時間はかからなかった[4]。後に、コンパックが、Osborne 1 によく似た形状のPC/AT互換機のポータブルコンピュータ Compaq Portable をリリースしている(ディスプレイは9インチ、価格は3590ドル)。

倒産

Osborne Executive

オズボーン・コンピュータは1982年に後継機 Osborne Executive を発表。1983年にはさらに進んだ Osborne Vixen を発表[4]。しかし、競合他社を撃退することはできず、1983年9月に倒産した。倒産後に後継機(Osborne Vixen)が完成し、Osborne-4 として1985年に発売されたが、売れ行きは芳しくなかった。

仕様

ケースをデザインしなおした後期の Osborne 1

メインメモリは4116型の 16kb DRAM で64KBを構成し、ビデオRAMとしても使用する。パリティはなくマザーボード上に拡張スペースもない。ブートローダとBIOSの大部分は4KBのEPROMに格納されていて、バンク切り換えされる。もう1つのEPROMがキャラクタジェネレータで、文字やグラフィックシンボルのパターンが格納されている。CPUが直接キャラクタジェネレータにアクセスすることはできない。ASCIIで使用しない8番目のビットをアンダーライン付きの文字を表すのに使っている。シリアル通信はメモリマップされた MC6850 を使用し、マザーボード上のジャンパーの設定で300/1200ボーか600/2400ボーを選択できる[11]

フロッピーディスクドライブは富士通の8877ディスクコントローラ(ウェスタン・デジタルの1793のセカンドソース)で制御している。パラレルポートはメモリマップされた MC6821 PIA (Peripheral Interface Adapter) を使用しており、完全な双方向通信が可能。マニュアルには IEEE 488 準拠だとあるが、その用途で使われることはほとんどない。このパラレルポートはマザーボードの端にエッチングされたカードエッジコネクタがそのまま穴からのぞいている形状で、使うには特別にコネクタを作る必要があった[11]

FDDはシーメンスまたはMPI製のフルハイト5.25インチドライブだが、駆動回路基板はオズボーンが設計したものに置き換えられていて、マザーボードからの電力と信号を1つのリボンケーブルで供給できるようになっていた。。電力供給は通常のドライブが接地用に予約している線を使っている[11]

画面表示にはメインメモリの一部とTTL論理回路を使い、内蔵の5インチモノクロモニターに表示する。カードエッジコネクタ経由で同じ信号を外部モニターにも供給できる。表示フォーマットはどちらも同じである[11]

主要LSI以外は全てTTL汎用ロジックICを使用している[11]

オペレーティングシステム

Osborne 1 では当時人気のあったオペレーティングシステム[2] CP/M 2.2 が動作した。マニュアルでは使用可能な ROM BIOS について詳しく解説している[11]

ソフトウェア

Osborne 1 にはアプリケーションソフトウェアがバンドルされていた。ワードプロセッサWordStar表計算ソフトSuperCalc、言語処理系の CBASIC英語版MBASIC という当時人気のあったアプリケーションである。これらソフトウェアだけで通常販売価格は1500ドルにもなる[4]。正確な同梱ソフトウェアは販売された時期によって異なる。例えば dBASE II は初期には同梱されなかった。

ソフト名 バージョン 発売元 種類 登場時期 部品番号 ディスク
枚数
CBASIC英語版2 デジタルリサーチ コンパイラ 1979年
MBASIC マイクロソフト インタプリタ 301002-02D 1
コロッサル・ケーブ ゲーム
Deadline Infocom ゲーム 2
dBase II アシュトンテイト データベース
dBase II Tutor アシュトンテイト データベースの学習 6
Nominal Ledger 2.7 PeachTree Software ビジネスソフト 1983年 2X09200-04 2
Purchase Ledger 2.7 PeachTree Software ビジネスソフト 1983年 2X09200-04 2
Sales Ledger 2.7 PeachTree Software ビジネスソフト 1983年 2X09200-04 2
SuperCalc Sorcim英語版 表計算 1981年 301002-03 1
WordStar 2.26 マイクロプロ英語版 ワードプロセッサ 1

ハードウェア

  • 形状:キーボードがディスプレイとFDDのあるフロントパネルにかぶさる形で収納される。旅客機の機内へ手荷物として持ち込み可能なサイズ(足先である前席の下に入れる)というのが当時の宣伝文句だった。
  • プロセッサ:Z80 4MHz
  • メモリ:64Kバイト RAM
  • キーボード:69キー+テンキー
  • ディスプレイ:5インチ モノクロCRTディスプレイ、文字表示:24行×52桁。32行×128桁の文字表示メモリの一部をマッピングして表示
  • フロッピーディスクドライブ:5.25インチ 片面単密度(70Kバイト)×2台(倍密度へのアップグレードが可能)
  • IEEE 488ポート: プリンタパラレルポートとして使用可能
  • RS-232互換シリアルポート: 外部モデムやシリアルプリンタを接続可能(1200ボーまたは300ボー)

Osborne 1 はバッテリーを内蔵しておらず、電灯線で電力を供給する必要があった。電源回路はスイッチング電源である。なお、市場には1時間の駆動が可能なバッテリーパックが出回った。初期モデルは 120V または 240V のみに対応していた[11]。後期モデル(1982年5月以降出荷)は、120V または 230V、50Hz または 60Hz をスイッチで切り替え可能となっている[11]

周辺機器

サードパーティ製の周辺機器が登場している。

Osborne 1 のアップグレードを請け負う業者もいた。倍密度FDDへの換装、外付けハードディスクを接続可能にする改造、FDDベイにバッテリーバックアップ付きのRAMディスクを装着するなどの改造が行われた。

オズボーン自身も表示を54桁から80桁にスイッチで切り換えるアップグレードを行った。

ゲーム

Osborne 1 はビットマップ表示のグラフィックスをサポートしていないため、ゲームは基本的にテキストアドベンチャーなどの文字ベースだった。例えば、探偵物のアドベンチャーゲームDeadline は大型の封筒のパッケージに5.25インチフロッピー2枚、説明書などで構成されていた。コロッサル・ケーブ・アドベンチャーは、コンパイル済みの版とMBASICインタプリタ版が入手可能だった。文字ベースのグラフィックを駆使したシェアウェアのゲームもいくつか登場した[12]

映画での登場

映画『フィラデルフィア・エクスペリメント』(1984) には Osborne 1 が登場するシーンがある。同じシーンで、その手前にコモドール64も見える。

脚注・出典

  1. ^ Horn, Leslie (2011年4月4日). “First Portable Computer Debuted 30 Years Ago”. PC Magazine. http://www.pcmag.com/article2/0,2817,2383022,00.asp 2011年4月20日閲覧。 
  2. ^ a b c Fallows, James (1982年7月). “Living With a Computer”. Atlantic Magazine. 2010年5月21日閲覧。
  3. ^ Xerox NoteTaker”. Computer History. 2010年5月21日閲覧。
  4. ^ a b c d Osborne 1”. OldComputers.net. 2010年5月21日閲覧。
  5. ^ “Computers: Carry Along, Punch In, Read Out”. Time (Time Inc.). (1982年6月21日). http://www.time.com/time/printout/0,8816,925484,00.html 2011年4月3日閲覧。 
  6. ^ McCracken, Harry (2011年4月1日). “Osborne!”. Technologizer. 2011年4月3日閲覧。
  7. ^ a b Grzanka, Leonard G. (January 1984). Requiem for a Pioneer. Portable Computer. 
  8. ^ Rothman, David H. (1985). The Silicon Jungle. New York: Ballantine Books. p. 33. ISBN 0-345-32063-8 
  9. ^ The Portable Companion”. 2009年8月1日閲覧。
  10. ^ Lee Felsenstein (2009-02-12) (email to PBA Galleries ed.). 
  11. ^ a b c d e f g h Hogan, Thom (1982). Osborne 1 Technical Manual. Mike Iannamico (2F00153-01 ed.). Osborne Computer Corporation 
  12. ^ Draw Cards Using MBASIC. The Portable Companion. (August/September 1982). ISSN 0732-7501. 

参考文献

  • Adam Osborne, John Dvorak Hypergrowth: the rise and fall of Osborne Computer Corporation, Idthekkethan Pub. Co., 1984 ISBN 0918347009
    • 岩谷宏訳『ハイパーグロース─「オズボーン・コンピュータ」の興亡』工学社 1988年 ISBN 4875931239

外部リンク


Osborne 1

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/11 04:57 UTC 版)

オズボーン・コンピュータ」の記事における「Osborne 1」の解説

詳細は「Osborne 1」を参照 アダム・オズボーンは、経営していたコンピュータ関連本の出版社を1979年マグロウヒル売却しソフトウェアバンドルした安価なポータブルコンピュータ販売することを決め、その設計のためにリー・フェルゼンスタイン雇用した完成したOsborne 1は、1行に52文字表示可能な5インチディスプレイ、フロッピーディスクドライブが2台、Z80マイクロプロセッサ64キロバイトRAM有し飛行機座席の下に収納することができ、落として壊れにくい。オペレーティングシステムとしてCP/Mインストールされ、プログラミング言語BASICワープロソフトWordStar表計算ソフトSuperCalcなどのソフトウェアパッケージバンドルされている。オズボーンは、彼が1981年1月設立したオズボーン・コンピュータ社の株式提供することにより、ソフトウェア使用権得た例えば、WordStar開発元のマイクロプロ・インターナショナル社は、オズボーン・コンピュータ社の株式75,000と、WordStarインストールされたOsborne 1の1台につき4.60ドル受け取った。 他のベンチャー企業とは異なりオズボーン・コンピュータ社は、会社設立してすぐに最初の製品出荷することができた。最初のOsborne 1は1981年7月出荷された。Osborne 1が低価格発売されたことから、それから数年間に発売され同様のコンピュータ価格も、それに影響されることとなった初期出荷され製品障害率は1015%と高かったにもかかわらず最初の8か月1万1千台を販売し店舗での入荷待ち5万台にも達した当初事業計画では、製品ライフサイクル英語版全体合計1万台の販売予測していたが、実際にピーク時には1か月1万台を販売したオズボーン社は、たった2人従業員オズボーンとフェルゼンスタイン)から、12か月従業員3千人収益73ドル企業成長した。その急成長ぶりは、幹部1週間トレードショーに出かけている間に建物増えていて、スタッフがどこにいるのかを探すのに苦労するほどだった。同社1982年10月アシュトンテイト社のdBASE IIバンドル化を発表したが、これにより需要急増して1日生産台数500台に達し品質管理著しく低下した

※この「Osborne 1」の解説は、「オズボーン・コンピュータ」の解説の一部です。
「Osborne 1」を含む「オズボーン・コンピュータ」の記事については、「オズボーン・コンピュータ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「Osborne_1」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

「Osborne 1」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「Osborne_1」の関連用語

Osborne_1のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Osborne_1のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのOsborne 1 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのオズボーン・コンピュータ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS