アノタール
FAN TAN
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/14 15:28 UTC 版)
FAN TAN | |
---|---|
出身地 | ![]() |
ジャンル | J-POP |
活動期間 | 2004年 - 2005年 |
レーベル | ザ・ミュージックカウンシル |
事務所 | CREATIVE OFFICE CUE |
共同作業者 | The Uncoloured |
公式サイト | FAN TAN |
メンバー | 大泉洋 戸次重幸 |
FAN TAN(ファンタン)は、TEAM NACSの大泉洋と戸次重幸による、音楽ユニット[1]。所属事務所はCREATIVE OFFICE CUE、所属レーベルはザ・ミュージックカウンシル。2人が出演する、北海道テレビ放送(HTB)のバラエティ番組『おにぎりあたためますか』の企画で2004年に結成され、2005年に活動停止した。
メンバー
メンバー | 生年月日 | 血液型 | 身長 | 出身地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
大泉洋 (おおいずみ よう) |
1973年4月3日(50歳) | B型 | 178 cm[2] | 北海道江別市 | |
戸次重幸 (とつぎ しげゆき) |
1973年11月7日(50歳) | O型 | 173 cm[3] | 北海道札幌市西区(現:手稲区) | 2007年12月まで本名の佐藤重幸(さとう しげゆき)で活動[4]。 |
概要
大学時代からの親友で、ともに演劇ユニット・TEAM NACSに所属する大泉洋と戸次重幸(当時は佐藤重幸)によって結成された[5]。
結成のきっかけとなったのは、2003年夏に、映画『river』が釜山で行われた釜山国際映画祭に出展され、『river』の出演者であった大泉と佐藤、『river』の監督で2人の所属事務所・CREATIVE OFFICE CUEの社長でもある鈴井貴之が舞台挨拶に立った時、出演者がサイン攻めにあったことから、韓国でもいけると思った大泉が冗談で『おにぎりあたためますか』のカメラ「クリスマスまでにシゲ(佐藤)と2人でハングル語で1つ曲を作りたい」と言ったことである[5][6]。
この発言を受け、『おにぎりあたためますか』のスタッフは、各方面と調整した結果、ソニー・ミュージックエンタテインメントのザ・ミュージックカウンシルからメジャーデビューすること、The Uncolouredがプロデュースと共演を行うことが決定。そして、アジアデビューという筋書きが決められた[5][6]。
また、ユニット名は当初、『おにぎりあたためますか』の共演者である佐藤麻美(当時、HTBアナウンサー)が考える予定であったが、「センセーショナルズ」や「イートパワー」などあまりにもセンスがなかったため視聴者に公募した結果、中国語で「おにぎり」を表す「握団」(ファンタン)から「FAN TAN」に決まった[注釈 1]。FANが大泉(FAN兄さん)、TANが戸次(TAN兄さん)という設定となった[6]。
2004年6月23日、「FAN TAN feat. The Uncoloured」名義で「起きないあいつ」をリリース。当時、2人は北海道を中心に活動していたが[注釈 2]、オリコンチャートでは初登場で全国第7位を記録。北海道エリアでは第1位となった[7]。
また、2004年8月には、「飯団 feat. 無色地帯」として台湾でリリースされ、アジアデビューを達成した[8]。
2004年9月26日、札幌教育会館で「私達、大泉洋と佐藤重幸は、これでFAN TAN 卒業します!」と活動停止を表明[9]。そして、2005年1月19日に、FAN TANのこれまでの活動の軌跡と「起きないあいつ」のアコースティックバージョンを収録したDVD「ありがとうFAN TAN、さようならFAN TAN」をリリースし、FAN TANは活動を停止[9]。
以降、FAN TANとして目立った活動はしていないが、2014年に開催された『CUE DREAM JAM-BOREE 2014』にて10年ぶりの新曲である「出ていったあいつ」を披露している。また、2人は、TEAM NACSとしての活動の他、『おにぎりあたためますか』や『SONGS』(NHK)[注釈 3]、ドラマなどで共演している。
ディスコグラフィー
CD
タイトル | 発売日 | 規格 | 規格品番 | レーベル | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
起きないあいつ | 2004年6月23日 | CCCD CD |
VVCL-9 VVCL-30 |
ザ・ミュージックカウンシル | 「FAN TAN feat. The Uncoloured」名義。 |
DVD
タイトル | 発売日 | 規格 | 規格品番 | レーベル | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
ありがとうFAN TAN、さようならFAN TAN | 2005年1月19日 | DVD | VVBL-1 | ザ・ミュージックカウンシル |
脚注
出典
- ^ “FAN TAN feat. The Uncoloured オフィシャルサイト”. www.sonymusic.co.jp. 2021年10月1日閲覧。
- ^ “大泉 洋 - ARTIST”. CREATIVE OFFICE CUE Official website. 2021年3月4日閲覧。
- ^ “戸次 重幸 - ARTIST”. CREATIVE OFFICE CUE Official website. 2021年3月4日閲覧。
- ^ “TEAM NACSの佐藤重幸が「戸次(とつぎ)」に改姓”. ORICON STYLE. (2007年12月3日) 2021年3月8日閲覧。
- ^ a b c “FAN TAN feat. The Uncoloured オフィシャルサイト”. www.sonymusic.co.jp. 2021年10月1日閲覧。
- ^ a b c 「ありがとうFAN TAN、さようならFAN TAN」(2005.01.19発売)
- ^ 『ユメミル、チカラHTBの50年』北海道テレビ放送、2019年、46頁。
- ^ “FAN TAN”. web.archive.org (2004年9月11日). 2021年10月2日閲覧。
- ^ a b “ありがとう FAN TAN さよなら FAN TAN”. FAN TAN | ソニーミュージックオフィシャルサイト. 2021年10月2日閲覧。
注釈
外部リンク
ファンタン
(Fan-Tan から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/02 06:11 UTC 版)
ファンタン(広東語 番攤、faan1taan1)とはカジノゲームの一種である。中国のマカオなどで人気がある。
概要
ファンタンは正方形のテーブルとボタンなどを使って行う、数の余りを当てるギャンブルである。白いボタンを使うことが多いが、コインや碁石などで行うこともある。ルールは金属製のお碗を数が不明の数十個のボタンの山にかぶせ、客が碗の中のボタンの数を4で割った余りが0個から3個のいずれかであるかを、テーブルに書かれた1から4(余りなし)の数字の上に掛け金を置いて賭ける。賭け終わると、竹べらを用いて4個ずつならべてゆき、最後に残るボタンの数が賭けた数と合えば勝ちとなり、元手の他、3倍の配当となる。手取りはバンカーの手数料を引いて3.75倍とされる例が多い。また、賭ける際に1から4のいずれかを選ぶ以外に、例えば1と2の間に掛け金を置くと、1または2に賭けたことになるが、配当は半減する。
歴史
発生の時期は不明であるが、用意する用具が簡単なため、19世紀までに広東省で流行していた賭博のひとつである。元々は広東のものとして「広攤」と呼ばれたが、当初は空豆やビーズなどの数当てであった。アメリカのゴールドラッシュの時期には多くの中国人が広東省から移住したため、アメリカにも伝えられ、19世紀末のサンフランシスコやニューヨークのチャイナタウンでも賭場が開かれ、盛んに賭けられていた。
その後、もっと複雑な麻雀や牌九に流行が移ると、衰退した。現在、中国での賭博は禁止されているため、マカオのカジノで行われているものが主である。
カードゲーム
「fan tan」の例文・使い方・用例・文例
- 英国では、『fanny(お尻)』は、女性の生器に対する下品な言葉である
- 気をつけの姿勢で立つ (⇔stand at ease).
- 哀れな罪人(つみびと)たち 《litany 中のことば》.
- いろいろな鈍いtannishまたは灰色の色のどれのでも
- それがbotnyと発音されるときの非音節はbotanyの中の”n”である
- 過敏性反応(鼻炎として)を治療するのに用いられる抗ヒスタミン剤(商品名Dimetane)
- 精神分裂症を治療するのに用いられる精神安定剤(商品名Loxitane)
- 感染症(特に尿路の感染症)を治療するのに使用されるスルフォンアミド(商標名Gantanol)
- 洗うための水差しと洗面器を支えるテーブルまたはスタンドで成る家具:『wash-hand stand(手洗いスタンド)』が英国の用語である
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