20世紀のフェミニストによる影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 19:39 UTC 版)
「インターセクショナリティ」の記事における「20世紀のフェミニストによる影響」の解説
コリンズは、インターセクショナリティのルーツは、1960年代から1990年代にかけて活動したブラック、チカーナ、ラテン系、アジア系、そしてアメリカ先住民フェミニスト達にあるとした。また、カルチュラル・スタディーズのスチュアート・ホールやニラ・ユヴァル=デイヴィス(スペイン語版)、アンナ・J・クーパー、アイダ・B・ウェルズ(英語版)など他分野の学者達もそれぞれの時代に複数の不平等が相互に影響し合う様を議論していたことを指摘した。 フェミニズムの分野では、1980年に第二波フェミニズムが後退し、オードリー・ロード、グローリア・E・アンザルデュア、アンジェラ・デイヴィスなどの有色人種のフェミニスト達が、学術研究の場に当事者の視点を持ち込んだことが大きなきっかけとなった。1980年代に多くの学者やフェミニストが行なった人種、階級、ジェンダーの関係性の研究が「インターセクショナリティ」という一つの概念に繋がったと分析した。 オードリー・ロードはインターセクショナリティを主なテーマとした重要な作家である。ロードは自身が「黒人、レズビアン、母、闘士、詩人」であると語った。その肩書はロードの黒人、同性愛者、女性といったアイデンティティが同時に存在し、それぞれの交差によって生む経験を象徴していた。ロードは1980年の論文で、長編の小説やエッセイを書くためには「自分だけの部屋が必要かもしれないが、さらに紙やタイプライター、そして何より多くの時間が必要となる」とし、労働階級の女性にとっては容易な表現方法ではないことを指摘した。学術、芸術、表現の世界でも社会階級が及ぼす強い影響を指摘し、その上で仕事の合間や紙切れに表現をすることのできる詩は、他の芸術形態に比べて多くの人が表現することができる表現方法だとした。 チェリー・モラガ(英語版)とグロリア・アンザルデュア(英語版)が1981年に第一版を出版した、黒人、ラテン系、アジア系の作家による詩歌集『我が背というこの橋』は、主にジェンダーと人種の関係に注目していたインターセクショナリティの範疇を広げることへと貢献した。この詩歌集では、人種やジェンダーに加え、性的指向や階級などが交差することで、さらに特有の政治的なカテゴリーを形成する様が模索された。多数の有色人種の作家がそれぞれの背景を一つの詩歌集に持ち寄ったことでインターセクショナリティの概念が強く打ち出され、それまで中産階級の白人フェミニスト達によって想定されていた均一の女性像に挑戦した。 階級、ジェンダー、性的指向による経験は「人種化」の影響を注意深く考慮しなければならないことは多くのフェミニストが指摘してきた。この人種化の影響はフェミニストで学者であるベル・フックスが深く考察している。特に1981年出版の著書『アメリカ黒人女性とフェミニズム ベルフックスの「私は女ではないの?」』において詳しく取り組まれた。フェミニストはインターセクショナリティを理解することは、政治的、社会的な平等を勝ち取り、民主主義の発展させるためには欠かせない要素であると指摘する。コリンズのインターセクショナリティについての社会学理論は、近代フェミニズムからポストモダン・フェミニズムへの移行の起点となった。
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