20世紀のモナコ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/09 14:24 UTC 版)
ルイ2世はかつてフランス軍に長く籍を置いた経験を持ち、フランス寄りであったが、第二次世界大戦ではモナコを中立の立場に置こうとした。陸軍時代の旧友であったフィリップ・ペタンのヴィシー政権が成立しても中立を維持した。イタリア人子孫が多くを占めるモナコでは、イタリアのベニート・ムッソリーニ率いるファシスト政権の支持者が多かったこともあり、優柔不断なヴィシー政権の取り扱いなどをめぐって、モナコは国内問題にさいなまれた。 1942年11月にイタリア軍がモナコを侵略し、ファシストの傀儡政権を設立した。1943年9月にはムッソリーニのイタリアでの失墜を受け、ナチス・ドイツ軍がイタリア軍の代わりにモナコを占領し、ユダヤ人の追放を開始した。その中にはモンテカルロ・オペラ劇場の設立者であるルネ・ブルムが含まれており、彼はナチスの強制収容所内で死亡した。なおルイ2世の極秘指示により、モナコ警察は多大なリスクを抱えながらもゲシュタポが逮捕を予定している地域の住民に事前に警告をして回った。このドイツ支配はドイツ軍が撤退したことにより終了した。 ルイ2世が1949年に死亡した後は孫のレーニエ3世が王位を継承した。レーニエ3世は2005年に死亡し、現在は彼から王位を継承した、レーニエ3世の息子のアルベール2世が大公となっている。 1962年にはモナコ憲法が改定され、死刑廃止、女性への参政権付与、基本的人権を保障するための最高裁判所の設置、フランス国籍をもつ人がモナコに移住することの規制などが定められた。 1993年にはモナコは全会一致で国際連合の正式な加盟国となった。
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