20世紀のモースル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 09:10 UTC 版)
第一次世界大戦で、イギリス軍は1918年10月にオスマン帝国と戦い、モースルを占領した。第一次世界大戦末期、イギリスとフランスは、交戦するオスマン帝国領を分割支配する協定(サイクス・ピコ協定など)を結び、現在のイラクにあたる地域はイギリスの勢力圏と定められた。大戦が終結した時点でもモースルとその一帯は依然としてオスマン帝国の手中にあったが、イギリスはセーヴル条約によりモースルを放棄させ、1921年に前述の3州を併せてイギリス委任統治領メソポタミア(イラク)を成立させた。モースル地域の権利を主張するトルコ共和国は委任統治領イラクと争ったが、イラクのモースル領有は1926年に国際連盟で確定した。 モースルの陸路でヨーロッパとインドをつなぐ戦略的重要性は、海運で大量の物資を運べるスエズ運河開通後に薄れたが、都市の運命は石油の発見と1920年代後半以降の開発で大きく蘇った。モースルは石油をトラックやパイプラインでトルコやシリアに運ぶ拠点となった。キュアラー (Qyuarrah) 石油精製所が都心から車で1時間以内の場所に建設され、道路建設計画のために石油を精製していた。この精製所はイラン・イラク戦争で損傷したが、破壊には至らなかった。 モースルはまた、モースル・ダムや近隣の火力発電所を抱えるイラクの電力供給の鍵となる地域である。モースル大学の設立は、この一帯の人々が高等教育を受ける機会を作り出した。多くの学部を抱え、特に優秀な工学科と言語学科で知られている。
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