1950年代 - 廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 15:00 UTC 版)
「ロイヤル・ブルー (列車)」の記事における「1950年代 - 廃止」の解説
B&Oのワシントン - ジャージーシティ間のすべての旅客列車は、1947年9月28日までに完全ディーゼル化されたものの、戦後はロイヤル・ブルー向けの客車は新造されなかった。1937年製の改装された8両編成のロイヤル・ブルー編成が廃止まで営業を続けた。1952年にはペンシルバニア鉄道が18両のステンレス製モーニング・コングレッショナルおよびアフタヌーン・コングレッショナルの流線形編成を導入し、圧倒的な市場占有率を達成していたことは明らかとなっていた。1950年代末までには、旅客が航空機や改良の進んだ州間高速道路を使った自動車へと転移して列車を利用しなくなったため、ほとんどのアメリカ合衆国の旅客列車は急激な旅客減少に苦しむようになっていた。ロイヤル・ブルーもまた例外ではなく、1946年から1957年までの間に旅客数はほぼ半減して、1年に500万ドルに達する営業損失を計上するようになっていた。この衰退傾向の中でも、1957年10月21日にイギリスのエリザベス2世とエディンバラ公フィリップ王配がB&Oを利用してワシントンからニューヨークまで移動し、ロイヤル・ブルー・ラインは初期の堂々たる豪華さを一時的に取り戻した。 営業損失が積みあがっていった結果、B&Oは最終的に1958年4月26日土曜日をもってボルチモア以北の旅客列車を全廃し、ニューヨーク - ワシントン間の旅客列車市場をペンシルバニア鉄道へすべて譲り渡して撤退し、ロイヤル・ブルーも廃止となった。ワシントンD.C.のユニオン駅を15時45分に最後のロイヤル・ブルーが出発した際には、エドワード・R・マローがCBSのSee It Now(英語版)の特別番組において中継を行った。この列車が19時49分にジャージーシティに到着した際には、ニューヨーク・タイムズ、ニューヨーク・ポスト、ライフ、サタデー・イブニング・ポストなどの記者が、伝説的なロイヤル・ブルーの終焉を伝えるために出迎えた。翌日のボルチモア・サン(英語版)の社説では、「歴史上もっとも有名な列車であっただろう」と述べて、ロイヤル・ブルーの終焉を悼んだ。 ニューヨーク・タイムズの1面では、7歳の乗客に別れを告げる列車の機関士マイケル・グッドナイトの写真を掲載した上で、「この国のもっとも古い鉄道が、名門のロイヤル・ブルーとその他5本の列車を廃止した昨日の悲しい物語である。紳士的な流儀で運行され、戦前の優雅な生活、そして特別な列車に対する評判といったものを伴った68年間続いた列車の運行が終わった」と書いた。 マウント・ロイヤル駅はB&Oの東側の旅客ターミナルとして1961年6月30日まで継続使用されたが、そこで鉄道旅客施設としては廃止となった。マウント・ロイヤル駅は、1959年にアメリカの歴史的建造物調査の対象となったボルチモアの13か所の建物のうちの1つであった。駅舎とトレイン・シェッドはその後1964年にメリーランド美術大学(英語版)が取得し、19世紀末の産業建築物の例として保存されることになった。
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