第26回天皇杯全日本サッカー選手権大会
(1946 Emperor's Cup から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 23:29 UTC 版)
開催国 | ![]() |
---|---|
参加チーム数 | 2 |
優勝 | 東大LB |
準優勝 | 神経大クラブ |
試合総数 | 1 |
ゴール数 | 8 (1試合平均 8点) |
← 1940
1949 →
|
この項目では復興第1回全日本サッカー選手権大会(ふっこうだい1かいぜんにほんさっかーせんしゅけんたいかい)として1946年5月5日に東大御殿下球場で開催された大会について記載する。なお、本大会は天皇杯全日本サッカー選手権大会の第26回大会に当たる。
概要
関東8チーム、関西4チームで予選が行なわれ、その代表の2チームで決勝大会が開催された。
純粋に日本サッカー界の復活を記念する大会となったが、翌1947年から再び中止となり、次の大会は2年後の1949年の第29回大会となる[1]。
予選
関東予選
準々決勝 | 準決勝 | 決勝 | ||||||||
東大LB | 6 | |||||||||
マツダ | 1 | |||||||||
東大LB | 3 | |||||||||
全慶大 | 2 | |||||||||
全慶大 | 4 | |||||||||
浦和クラブ | 1 | |||||||||
東大LB | 2 | |||||||||
全早大 | 0 | |||||||||
東京蹴球団 | ||||||||||
栃木師(棄権) | ||||||||||
東京蹴球団 | 1 | |||||||||
全早大 | 6 | |||||||||
全早大 | 2 | |||||||||
湘南クラブ | 1 | |||||||||
関西予選
準決勝 | 決勝 | |||||
神経大クラブ | 4 | |||||
湯浅蓄電 | 1 | |||||
神経大クラブ | 1 | |||||
学士クラブ | 2 | |||||
学士クラブ | 2 | |||||
関西学院大学 | 0 |
※学士クラブが決勝戦を辞退したため、神経大クラブが関西代表となる。
決勝戦
出場チーム
- 東大LB(15年ぶり2回目)
- 神経大クラブ(初出場)
結果
決勝 | ||
1946年5月5日 | ||
東大LB | 6 | |
神経大クラブ | 2 | |
主な出場選手
脚注
外部リンク
「1946 Emperor's Cup」の例文・使い方・用例・文例
- 中央広報局は1946年に設立された。
- 日本国憲法は 1946 年 11 月 3 日に発布された.
- 1946年に三冠に勝ったサラブレッド
- フォン・ノイマンとその同僚によって1946年に提言された内蔵プログラムと連続カウンタのアイデアを取り入れたデジタルコンピュータ
- かつての執行機関(1946年から1974年まで)で、米国の原子力とその平時の利用についての研究を担当していた
- 米国の探検家で、ピアリーの北極探検に同行し、ほかに多くの北極旅行を先導した(1875年−1946年)
- 1973年からのスウェーデンの王様(1946生まれ)
- 米国の第42代大統領(1946年−)
- スペイン作曲家でピアニスト(1876年−1946年)
- 米国のコメディアンで映画俳優(1880年−1946年)
- ドイツ人のナチス・ドイツの政治家ゲシュタポを設立し、ドイツ人を戦争に動員した(1893年−1946年)
- 英国の俳優、劇作家、評論家、監督で、シェークスピアの劇の制作で知られる(1877年−1946年)
- 物語と脚本の米国の作者(1894年−1946年)
- ソ連のソビエト政治家で国家元首(1875年−1946年)
- 英国の経済学者で、インフレによらず、政府の通貨財政政策の利用により完全雇用を維持するように説いた(1883年−1946年)
- 米国のレース・ドライバーで、初めて1マイルを1分より速く運転した(1878年−1946年)
- ミュージカルの米国の作曲家で作詞家(1891-1946年)
- 米国のブロードウェイとニューヨークの地下に関するユーモラスな様式化された話の作家(1884年−1946年)
- 実験的な国外在住の米国の作家(1874-1946年)
- 米国の写真家(1864年−1946年)
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