第11回天皇杯全日本サッカー選手権大会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 09:47 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動| 開催国 | |
|---|---|
| 開催期間 | 1931年10月28日-31日 |
| 参加チーム数 | 7 |
| 優勝 | 東京帝大LB |
| 準優勝 | 興文中学 |
| 試合総数 | 6 |
| ゴール数 | 23 (1試合平均 3.83点) |
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この項目では1931年10月28日から31日まで明治神宮外苑競技場において開催されたア式蹴球全國優勝競技會(あしきしゅうきゅうぜんこくゆうしょうきょうぎかい)について記載する。なお、本大会は天皇杯全日本サッカー選手権大会の第11回大会に当たる。
概要
- 本大会出場は7チーム。
- 本大会は第6回明治神宮競技大会を兼ねていた。
- 東都の誰一人名前も知らない中学生チームの快進撃に神宮が湧いた[1][2]。決勝に進出したのは広島県呉市平原町から来た興文中学[1]。校長が朝鮮で教育に従事していた関係で、朝鮮からの留学生を積極的に受け入れていた[1][2]。修道中学、広島師範学校、鯉城蹴球団など、強豪ひしめく広島予選を勝ち抜き、本戦でも決勝に進出した[1]。しかし興文中学が一瞬の燐きを放ったのはこの年のみで、これ以降全国大会での華々しい活躍はない。興文中学は太平洋戦争で空襲に遭い校舎を焼失。同市阿賀町に移転した後、学校改革で芸南高校と改称したが1975年廃校になった[1]。著名な出身者としてボクシングプロモーターの金平正紀らがいる[3]。
出場チーム
- 函館蹴球団(北海道、初出場)
- 東京帝大LB(関東、初出場)
- 富山師範クラブ(北陸、初出場)
- 二高クラブ[注 1](東北、2年ぶり2回目)
- 名古屋蹴球団(東海、2年連続7回目)
- 興文中学(中国、初出場)
- 関西学院大学(近畿、初出場)
結果
| 1回戦 | 準決勝 | 決勝 | ||||||||
| 1931年10月 | ||||||||||
| 二高クラブ | 0 | |||||||||
| 1931年10月 | ||||||||||
| 東京帝大LB | 2 | |||||||||
| 関西学院大学 | 1 | |||||||||
| 1931年10月31日 | ||||||||||
| 東京帝大LB | 2 | |||||||||
| 東京帝大LB | 5 | |||||||||
| 1931年10月 | ||||||||||
| 興文中学 | 1 | |||||||||
| 函館蹴球団 | 0 | |||||||||
| 1931年10月 | ||||||||||
| 名古屋蹴球団 | 2 | |||||||||
| 名古屋蹴球団 | 1 | |||||||||
| 1931年10月 | ||||||||||
| 興文中学 | 3 | |||||||||
| 富山師範クラブ | 1 | |||||||||
| 興文中学 | 5 | |||||||||
脚注
注釈
出典
参考資料
- 第94回天皇杯全日本サッカー選手権大会大会パンフレット (p. 55)
外部リンク
- 日本サッカーアーカイブ
- NHKによる紹介 - ウェイバックマシン(2010年10月13日アーカイブ分)
- 第11回天皇杯全日本サッカー選手権大会のページへのリンク