第2回天皇杯全日本サッカー選手権大会とは? わかりやすく解説

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第2回天皇杯全日本サッカー選手権大会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/12 00:04 UTC 版)

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(第2回)ア式蹴球全國優勝競技會
開催国 日本
参加チーム数 4
優勝 名古屋蹴球団
準優勝 広島高師
試合総数 3
ゴール数 8 (1試合平均 2.67点)
1921
1923
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この項目では1922年11月25日および26日豊島師範グラウンドにおいて開催されたア式蹴球全國優勝競技會(あしきしゅうきゅうぜんこくゆうしょうきょうぎかい)[1] について記載する。なお、本大会は天皇杯全日本サッカー選手権大会の第2回大会に当たる。

概要

  • 予選は関東北、名古屋、大阪、広島の4地区に分けて行われ[1]、それぞれの地区代表1チームが全国大会に出場した[1]
  • 本大会は翌1923年(大正12年)に大阪で開催される第6回極東選手権競技大会と結び付けられて極東選手権競技大会サッカー競技の予選を兼ねて行われた[1]極東選手権出場はすんなり本大会優勝の名古屋蹴球団ではなく[1]、名古屋蹴球団に挑戦が許されることになり[1]、本大会に出場していない前年度優勝チーム・東京蹴球団と大阪サッカークラブの申し込みがあり[1]、両チームは1923年1月に対戦し大阪サッカークラブが勝ち、引き続き大阪サッカークラブと名古屋蹴球団が対戦して大阪サッカークラブが勝ったため、極東選手権代表は大阪サッカークラブになった[1]。大阪サッカークラブは明星商業学校サッカー部OBが中心となり1921年に結成されたクラブで、主将は神田清雄、監督は西田満寿次郎であった[2]。大阪サッカークラブは極東選手権出場にあたり、陣容を充実させるため広島から清水直右衛門、東京から清水隆三を補強している[1]

出場チーム

結果

準決勝 決勝
           
1922年11月25日(延長)    
 名古屋蹴球団 2
 大阪サッカークラブ 1  
  1922年11月26日
 名古屋蹴球団 1
   広島高師 0
1922年11月25日  
 広島高師 3
 アストラ倶楽部 1  

参考資料

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 山田午郎『蹴球のコーチと練習の秘訣』目黒書店、1932年、21-22頁。
  2. ^ 鈴木武士編著 『天皇杯六十五年史』 財団法人日本サッカー協会、1987年。

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