第6回極東選手権競技大会とは? わかりやすく解説

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第6回極東選手権競技大会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/09 04:09 UTC 版)

日本対中国の男子バスケットボールの試合
女子バレーボールの試合

第6回極東選手権競技大会(だい6かいきょくとうせんしゅけんきょうぎたいかい)は、1923年大正12年)5月21日から5月26日まで、日本大阪府大阪市西区(現・港区)の大阪市立運動場などで行われた極東選手権競技大会

概要

大会総裁は秩父宮雍仁親王皇族がスポーツの役員に史上初めて就任した大会である。大会総務委員長は春日弘

日本が陸上競技競泳テニスの3選手権、フィリピンが野球バレーボールバスケットボールの3選手権、中国がサッカーの選手権を獲得した。フィリピンからの要請で女子テニスが初めて加わり、日本(シングルス・金田咲子、ダブルス・田村富美子・梶川久子)が優勝した[1]

実施競技

脚注

  1. ^ 後藤光将「大正期における女性スポーツとメディア : テニスプレーヤー田村富美子の偶像化」『明治大学教養論集』第485巻、明治大学教養論集刊行会、2012年9月、1–27頁、ISSN 0389-6005NAID 1200052588642022年2月20日閲覧 

参考文献

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