第6回極東選手権競技大会
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第6回極東選手権競技大会(だい6かいきょくとうせんしゅけんきょうぎたいかい)は、1923年(大正12年)5月21日から5月26日まで、日本の大阪府大阪市西区(現・港区)の大阪市立運動場などで行われた極東選手権競技大会。
概要
大会総裁は秩父宮雍仁親王。皇族がスポーツの役員に史上初めて就任した大会である。大会総務委員長は春日弘。
日本が陸上競技、競泳、テニスの3選手権、フィリピンが野球、バレーボール、バスケットボールの3選手権、中国がサッカーの選手権を獲得した。フィリピンからの要請で女子テニスが初めて加わり、日本(シングルス・金田咲子、ダブルス・田村富美子・梶川久子)が優勝した[1]。
実施競技
脚注
- ^ 後藤光将「大正期における女性スポーツとメディア : テニスプレーヤー田村富美子の偶像化」『明治大学教養論集』第485巻、明治大学教養論集刊行会、2012年9月、1–27頁、ISSN 0389-6005、 NAID 120005258864、2022年2月20日閲覧。
参考文献
外部リンク
- 第6回極東選手権競技大会記念写真帖飯田基三 編 (十字館, 1923)
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