鯉城設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 10:09 UTC 版)
この「鯉城倶楽部(あるいはクラブ)」の名で結成されたチームが誕生するきっかけは、1924年(大正13年)秋に、第1回明治神宮大会が開催されるという報を受け「蹴球部を編成して遠征しよう」と声が盛り上がったもの。つまり国泰寺高が正式に発表した資料では、1924年が正式結成した年としている。 ただ日本サッカー協会が公表する資料の中には、1923年(大正12年)5月に行われた第6回極東選手権競技大会において深山静夫・清水直右衛門・加茂下良重(姓は加茂/加茂下両方表記あり)・田部辰の4人が鯉城クラブ所属として日本代表に選ばれているものがあることから、これより前に活動していた可能性もある。 天皇杯の前身にあたるア式全国蹴球大会は1921年(大正10年)から始まるが、鯉城が地区予選に出場していたかは不明。1923年第3回大会九州中国地方予選では鯉城クラブの名前はなく「広島一中チーム」が優勝している が、翌1924年の中国予選では鯉城は「広島一中R団」の名前で出場していることから、この1923年の広島一中が鯉城クラブであった可能性もある。
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