鯉三郎の亡き後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 13:14 UTC 版)
4代坂田藤十郎は2009年7月にNHK教育テレビの『芸能花舞台』「伝説の至芸・二世西川鯉三郎」でゲスト出演した時に、1951年12月名古屋御園座で初役で演じた、鏡獅子の稽古の様子などを話している。 『芸能花舞台』「伝説の至芸・二世西川鯉三郎」はこれまでにも数度、取り上げられ、作家の平岩弓枝、評論家の利根川裕、女優の淡島千景がゲスト出演する毎に鯉三郎の在りし日の思い出を話している。 お座敷に向かう芸者の様子が写実に描かれている、清元榮三郎作曲、清元「春宵吹き寄せばなし」、恋しい男への執念を蛇体になって現れる長唄「紀州道成寺」、六代目菊五郎直伝の「鏡獅子」、「菊吉時代」の二長町市村座の様子、六代目菊五郎と初代中村吉右衛門の当たり役を鯉三郎が素踊りで巧みに見せる中山小十郎作曲「菊吉抄 二長町」、下層階級のうらぶれた女を踊る、樋口一葉作品から、清元榮三郎作曲「お力」などが放送された。 17世中村勘三郎の著書(「自伝やっぱり役者」など)には鯉三郎との交友の様子が書かれている。 没後、長男の西川右近が西川流3世家元を継承したが鯉三郎の名跡は襲名していない。
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