1923 - 1928年
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「大阪市営電気供給事業」の記事における「1923 - 1928年」の解説
1923年10月1日、大阪電灯の事業を引き継いだ当日の供給実績は、下表の通り電灯取付数178万9,736灯(需要家数37万7,970戸)、電力供給2万4,794kW、電熱供給5,106kWであった。 市営電気供給事業は、低廉で豊富かつ良質な電気を供給すると謳って成立した。このことから、その第一段階として大阪電灯の買収実施と同時に料金の値下げを実施し、電灯料金を3.8%、電力・電熱料金を約10%それぞれ引き下げた。当時の供給実績で計算すると年額約82万円の減収となる値下げ幅である。収入減の一方、事業買収にかかる公債の利払いや、不利な条件で電力会社と購入契約を締結したことによる電力購入費の増大など、支出は増加した。さらに1か月前に関東大震災が発生しており不況の只中にあるなど、困難な環境の中での電灯市営化であった。 豊富かつ良質な電気の供給のために電灯市営化当初に急務であったのが設備の改善である。電灯市営化時点での電気設備は、電気鉄道部時代からの発電所2か所・変電所7か所に大阪電灯引き継ぎの設備を加えて発電所3か所・変電所24か所を数えたが、明治末期に建設された九条第一・安治川両発電所をはじめ設備の半数以上は設置から10年以上経たものであり、老朽化して故障が頻発していた。そこで電気局では応急処置を行う一方、以下の内容からなる設備改善の十年計画を打ち出し、市内の送配電網の設備に着手した。 火力発電所の増設 受電開閉所の新設 送電線電圧の高圧化 変電設備の新増設 配電方式の変更 - 三相3線式・配電電圧3,300Vに統一の上、配電線容量を増強 安全化確保のための遮断器の容量増強 事故発生時の故障範囲局限化のための設備改良 配電指令の中央集約 これらの設備改良により、10年後の想定供給電力15 - 20万kWに対応するとともに、さらに40万kW、最大で60万kWに達するまで供給の増大に対処しうることが目標とされた。十年計画を実施するにあたっては資金調達の点で困難があり、当時公債の発行は政府の認可を必要としたので1年から2年の延期がたびたびあったものの、1925年(大正14年)に難波変電所が竣工するなど徐々に進められた。 下記電源構成の節で詳述するように、電灯市営化当初は大同電力との間に締結していた電力購入契約により、高価な電力を毎年追加購入する義務を負っていた。この関係から電気局は毎年多くの需要を獲得する必要があり、積極的な需要開拓が必須であった。電灯供給については高燭光化の勧誘を毎年その対策として行ったが、そのほかに電灯市営化当初の需要開拓活動として特記すべきものが電熱の普及促進である。電熱設備は都市ガス設備と競合するものの当時徐々に使用され始めていたので、電気局では料金を値下げするとともに電気七輪・電気ストーブの貸付制度を設けて家庭用電熱設備の普及に努め、その後さらに職工業方面での普及も図った。 1928年には、電灯市営化5周年ならびに市電開業25周年を記念して10月1日から12月2日まで「大礼奉祝交通電気博覧会」を開催した。天王寺公園を会場に電気・交通に関する最新科学の展示を行い、63日間で100万人の入場者を集めた。
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