米田祐太郎(よねだ・ゆうたろう)
1891年(明24)、東京生れ。東京外語大学支那語科卒。別名米田華※[#“舟”偏に“工”]、北條太郎。南沢十七は甥。満鉄社員、関東庁嘱託を経験。また、中国にて「日華製粉株式会社」を設立。
1922年(大11)、「支那語文法研究」を刊行。
1923年(大12)、「週刊朝日」に「泥美人」を発表。
1923年(大12)、米田華※[#“舟”偏に“工”]名義で「サンデー毎日」に「支那の音曲」を発表。
1923年(大12)、「週刊朝日」に「探偵小説 黄龍の目」を連載。
1928年(昭3)、 川端男勇(のちの南沢十七)と共著で「東西媚藥研究」を刊行。
1939年(昭14)、「新青年」に「金扇殺人事件」を発表。
米田祐太郎に関するサイト:「米田祐太郎について」
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