1922年以降の活動
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1922年(民国11年)6月15日(または16日)、江天鐸は顔恵慶臨時内閣で農商部次長に再任され、唐紹儀臨時内閣となった後の8月15日、農商総長に実際には就任しなかった盧信の代理を務めた。その6日後の8月21日に全国水利局総裁へ異動している。9月2日には、揚子江水道討論委員会副会長も兼任した。翌1923年(民国12年)、私立民国大学(中国語版)校長に就任し、1930年(民国19年)まで在任することになる。張紹曽内閣の1923年5月13日に、全国水利局総裁と揚子江水道討論委員会副会長を辞任した。 1926年(民国15年)6月22日、杜錫珪臨時内閣で内務部次長に任ぜられ、更に揚子江水道討論委員会会長と督弁賑務公署坐弁も兼任した。顧維鈞臨時内閣の翌1927年(民国16年)1月18日に内務部次長を免ぜられ、まもなく他の各職からも退いた。
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