1922年の橋
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荒川放水路(現:荒川)開削前は、綾瀬川と曳舟川通りが交差する所に木ノ下橋が架かっていた(現在は新四ツ木橋が架かっている)。 1922年(大正11年)6月30日、荒川放水路開削に伴い橋長451メートル、幅員5.5メートルのRC(鉄筋コンクリート)橋脚を持つ木製の方杖桁橋の四ツ木橋(旧橋)が架橋された。また、綾瀬川には1921年(大正10年)11月30日開通した橋長53メートル、幅員5.5メートルのRC(鉄筋コンクリート)橋脚を持つ木桁橋の四ツ木小橋が架けられていた。位置は現在の国道6号ではなく、約500 m下流の京成押上線荒川橋梁のすぐ下流側、東京都道465号深川吾嬬町線の延長上にあった。木橋ながら戦車を通すこともできた。
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1922年の橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 18:40 UTC 版)
橋は1924年(大正13年)通水を開始した荒川放水路の掘削に先立ち、1922年(大正11年)3月に木製およびRC(鉄筋コンクリート)製の橋脚を持つ木桁橋として開通した。橋長439.35メートル、幅員5.5メートル。路面は乳剤舗装が施されていた。名前の由来は總持寺の通称である西新井大師への経路に因むものである。木造桁なので老朽化が早く、昭和20年度から昭和34年度にかけて工事費4203万9千円を投じて補強桁の追加や床版の交換工事が実施された。
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1922年の橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 15:48 UTC 版)
橋は1924年(大正13年)10月通水を開始した荒川放水路の掘削に先駆けて1922年(大正11年)6月30日に小松川橋がRC(鉄筋コンクリート)橋脚を持つ木桁橋として開通した。橋長489メートル、幅員6.4メートル。また、同時期に小松川小橋が中川に架けられた。橋長123メートル、幅員6.4メートル。架橋位置は現在の新小松川大橋の位置に架かっていた。
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