1922年の計画
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「スタテンアイランドトンネル」の記事における「1922年の計画」の解説
ジョン・ハイラン市長は1922年5月に貨物旅客トンネルの新しい計画を打ち出し、予算委員会はこの計画に当初408万ドルを割り当てることを推奨した。交通委員会と港湾当局は、それぞれ自身の計画があったため、この計画を拒否した。この計画は当初案より縮小されたものであった。当初計画では、オウルズ・ヘッド・パークからザ・ナローズをくぐってスタテンアイランドへのトンネルを造り、そこからスタテンアイランド中央に新たに建設する貨物ヤードへつながり、そこから幹線がアーサー・キルを渡ってニュージャージー州へ行き、パターソンを経てウェスト・ショア鉄道(英語版)へつながる。新しい改定案ではザ・ナローズのトンネルとアーリントンヤード(英語版)へ通じる3マイル(約4.8キロメートル)の支線だけになっていた。 新しい計画では、貨物列車はなお夜間にトンネルを運行することになっていた。トンネルからの支線は、ブルックリンではロングアイランド鉄道の貨物線に、スタテンアイランドではB&Oの貨物側線に、そして市が新たにスタテンアイランドに建設する埠頭へをすべて建設することになっていた。このプロジェクトは600万ドルかかると見込まれ、もし工事が早く進めば、1929年には完成するとされていた。この路線はスタテンアイランドやジャマイカ湾の海岸付近の開発を促進すると見込んでいた。地下鉄の4番街線との接続も準備されることになっていたが、交通委員会はこの計画に関与することを拒否していた。 この計画はB&Oを利するものであったため、ペンシルバニア鉄道は反対し、同社は港湾当局と協力してブルックリンからニュージャージー州グリーンビルまでのトンネルにスタテンアイランドへの支線を付け加えたものを提案した。港湾当局の計画がニュージャージー州とニューヨーク州の州議会で承認されたことから状況は複雑なものとなった。これに加えて、交通委員会はニューヨーク市地下鉄の一部として運行できる、4番街線から分岐する独自の地下鉄トンネルを提案していた。
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