1789年 - 1910年
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「サンゴバン」の記事における「1789年 - 1910年」の解説
1789年、フランス革命が勃発し、Compagnie Dagincourt に与えられていた独占権は無効となった。同社は部分的にフランス国家の制御下にとどまったが、個人投資家の資本参加が必須な状況となった。 産業革命において同社は環境の変化に直面した。創業当時から、同社はフランスでの独占の恩恵を受け、技術的にもヨーロッパで対抗できる企業はほとんどなかった。1820年代、相変わらずアンシャン・レジームのころと同様の体質で、贅沢品市場向けの高品質な鏡とガラスを生産していた。1824年、フランスアリエ県のコマントリで新たなガラス製造業者が創業。ある程度の品質の鏡とガラスはもはや贅沢品ではなく、庶民が入手できるものになった。サンゴバンはガラスと鏡の産業としての未来は大衆化にあることを認識し、特に低い品質の鏡やガラスが建設業で大量の需要があり、大きな成長が見込めることがわかった。同社は戦略を見直し、低品質のガラスや鏡を製品系列に加えるようになった。 サンゴバンの戦略が変化したころ、その法的状態と財政状態も変化した。1830年、ルイ・フィリップが新たに王となったころ、サンゴバンは Public Limited Company となった。Compaigne de Glace はとうとう国家から完全に独立したのである。 1830年以降、サンゴバン社内の変化は会社機能の単なる調整以上のものだった。成長する世界経済に適応するための抜本的改革が行われた。1850年から1870年にかけて、世界の鏡製造量は毎年9%ずつ増加していった。工業化された都市の中心部は急激に成長・拡大し、建築革命をもたらした。集合住宅では、狭い室内を広く感じさせるために鏡を使った。1850年代から1860年代には、通りに面した店舗が大きなガラスを使ったショーウィンドウを採用し始めた。 鏡が主要な事業だったが、サンゴバンは製品ラインを拡大していった。天窓などの建築用ガラス、厚い鏡、窓ガラスなどである。これらの製品は鉄枠とともに19世紀後半の装飾を形成した。このころサンゴバンの製品を使った有名な建築物としては、ロンドンの水晶宮、パリ植物園、グラン・パレ、プティ・パレ、ミラノ中央駅、フィラデルフィアやシドニーやニューヨーク等々の建築などがある。 品揃えを変えるだけでなく、サンゴバンはフランス国内の同業他社 Saint-Quirin との合併によって事業環境を変えようとした。19世紀中ごろにはベルギーやイギリスの企業との競争が激しくなったため、競合していた両社が合併して対抗することを決断したのである。合併後のサンゴバンはヨーロッパのガラスおよび鏡市場の25%を占めるようになった(合併前はそれぞれ10%と15%)。 海外企業との競争は激化していった。ベルギーやイギリスに加えて、ドイツやアメリカも市場に参入してきた。サンゴバンは国内の業者が育っていない国に積極的に工場を進出させていった。 20世紀初頭、サンゴバンは反射望遠鏡の鏡用のガラス(ミラーブランク)を製造した。当時としては世界最大級の望遠鏡用のガラスである。例えば、ウィルソン山天文台(アメリカ)のヘール望遠鏡(60インチ、1908年)とフッカー望遠鏡(100インチ、1917年)、ドミニオン天体物理天文台(カナダ、ドミニオン天文台の後継)のプラスケット望遠鏡(72インチ、1918年)などである。
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