1789年〜、フランス革命
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「精神保健の歴史」の記事における「1789年〜、フランス革命」の解説
1785年、イタリアでは近代的精神医療をめざした聖ボニファチェ病院(Bonifazio)が開設され、院長のヴィンチェンツォ・キアルージ(Vincenzo Chiarugi)が精神障害者に対する開放的処遇を発表。病歴記載方法、高度の衛生管理、レクリエーション施設、作業療法、拘束の制限など、人権思想に関する当時としては極めて先進的な手法を提示した。 1793年、フランスのフィリップ・ピネル(Philippe Pinel)、ジャン=バチスト・ピュッサンがビセートル病院の閉鎖病棟の患者を鎖から解放する(ル・クルムラン=ビセートルも参照)。 1808年、イギリスにて州立アサイラム法が成立、精神障害者の入院環境を改善する多くの規定が盛り込まれる。 1817年、アメリカ最初の「道徳療法」を行う精神病院が開設される。 1852年、フランスの精神科医ベネディクト・モレル (Bénédict Morel) によって統合失調症は初めて公式に記述され、仏Démence précoce(「早発性痴呆」)と呼ばれた。 1871年、ドイツのエヴァルト・ヘッカー (Ewald Hecker) が「破瓜病」(Hebephrenie) を著す。 1874年、ドイツのカール・カールバウム (Karl Ludwig Kahlbaum) が「緊張病」(Katatonie) を著す。 1880年、フランスの医師ジェリーノ(Jean-Baptiste-Édouard Gélineau)がナルコレプシー(narcolepsy)を名付ける。 1884年、ルドルフ・ベルリン(Rudolf Berlin)によってディスレクシア(読字障害)が報告される。 1899年、ドイツのエミール・クレペリン (Emil Kraepelin) が独Dementia Praecox(「早発性痴呆」)を著し、破瓜病、緊張病に妄想病を加えてまとめる。 1900年、国際統計協会が疾病及び関連保健問題の国際統計分類(ICD)の初版を公表。 1904年、イタリアで法36号(自傷他害・公序良俗を汚す恐れのある患者の強制入院等)が規定される。 1911年、スイスの精神科医オイゲン・ブロイラー(Eugen Bleuler)は、必ずしも若年時に発症するとは限らず、又、必ずしも痴呆に到るとは限らず、この病気の本性は観念連合の弛緩にあるとして、独Dementia Praecox(「早発性痴呆」)を独Schizophrenie(旧称「精神分裂病」)と改名し疾患概念をかえた。 1913年、野口英世が進行麻痺患者の脳に梅毒病原体を発見する。
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