1789年-1850年
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「タマニー・ホール」の記事における「1789年-1850年」の解説
タマニー・ホールの前身たるタマニー協会は、1772年にフィラデルフィアで結成された関連諸団体の一地方支部として、1789年5月12日、マンハッタンで家具職を営んでいたウィリアム・ムーニー を初代会長に据えニューヨークにて設立。タマニーの語源は植民地時代のデラウェアに居住していたアメリカ先住民レナペ族の首領タマネンド(セント・タマニー)に由来するものであるが、独立戦争時には独立を志向する愛国派グループの名に用いられて以来一般にも広まった。こうした事情から協会は先住民族の語や習慣までをも取り入れており、とりわけ本部のあるホールは「ウィグワム」(樹皮・獣皮などを張った先住民族の小屋の意)と呼ばれたほか、代表者は「サチェム」(アメリカ先住民族の首領の意)と称した。 慈善団体として出発した協会も1798年までには政治色を帯び、非協会員のアーロン・バー が会長に就任したのを切っ掛けとして政治的マシーンに変貌し、市政では民主共和党の中心にまで登り詰める。バーは自身が副大統領に当選した1800年の大統領選で協会をフル活用したこともあり、協会が無ければ現職のジョン・アダムズが再選されていたであろうと言われている。民主共和党が解散した1829年以後は民主党に合流し市議会を牛耳るようになるが、この間協会の新たな本部が「タマニー・ホール」として東14丁目に完成。ホールの名が団体名として広く知られ始めたのはこの頃のことである。 1830年代には民主党内に反独占を標榜する分派ロコフォコスが誕生、労働者階級へのアピールを通じて協会への一大抵抗勢力となった。しかしその中にあっても、1830年代から1840年代を通じて、増え続ける移民の支持を以って政治的支配を一層強め、票田を確固たるものとしてゆく。なお、ニューヨークは1686年から1938年まで最小の行政区画として区(ward、現在のものとは異なることに注意)制を敷いていたが、これに合わせ区毎に移民の世話と集票と請け負うボスが叢生した。
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