1789年以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 10:14 UTC 版)
「フランス革命期における非キリスト教化運動」の記事における「1789年以前」の解説
18世紀のフランスでは、ルイ14世が1685年にナントの勅令を取り消す王令(フォンテーヌブローの勅令)を発して以来、国民の大多数がカトリック信者であり、カトリックは国教の地位にあって唯一フランス王国によって保護されてきた宗教であった。少数のフランス系プロテスタント(大部分はユグノーとアルザス(当時はドイツの領域)のルター派)もおり、革命初期にはユダヤ人もまだフランスに住んでいた。1787年11月7日、国王ルイ16世は「寛容令」の名でよく知られているヴェルサイユ勅令に署名し、フランスの非カトリック教徒にも信教の自由を保障し、法的ないし民事的地位を公然と行使することのできる権利(市民権)を与え、カトリックに改宗しなくても正式な婚姻を認めることとした。一方、リベルタンの思想家たちは無神論と反教権主義とをフランス社会に広く普及させていた。 アンシャン・レジーム(「旧体制」)では、聖職者の権威は等族国家(身分制国家)における「第一身分」としての地位によって制度化されていた。フランス王国最大の土地所有者でもあるカトリック教会は、聖堂や修道院、学校、神学校、施療院、捨て子養育院、貧民救済など諸事業にかかわって得た莫大な資産を管理していた。教会はまた、十分の一税から巨額の収入を得ており、フランス全土に網の目のように張り巡らされた教区教会は、1667年の民事王令以降、教区司祭のもと洗礼証書・婚姻証書・埋葬証書の認証というかたちで戸籍業務を一手に担い、教区内住民の生誕、結婚、死や葬送に関する一切の記録を納めていた。王から発せられる命令もミサの祭壇から教区の人びとに告知された。教会組織はまた、民衆向けの医療、福祉、教育などの機能もはたして、すべての市民に影響を与え、人びとの日常生活に深く入り込んで王政による臣民統合を基礎づけるものとなっていた。
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