関西国際空港移転案
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「普天間基地移設問題」の記事における「関西国際空港移転案」の解説
「橋下徹#米軍基地」も参照 ロイターニュースの竹本熊文によれば、本案が最初に世に出たのは2009年10月17日の朝日新聞の匿名コラム「経済気象台」であった。その後11月2日に下地幹郎が衆院予算委員会にて岡田へ質問した。移転先の大阪府知事の橋下徹は11月30日、個人的見解と断った上で受け入れの意思を表明し「政府から正式な提案があれば議論に応じる」と述べた。 下地はこの案を2005年頃から温めていた。 内容としては発着回数と滑走路本数、駐機スポット等に余裕があり、市街地から離隔した人工島に立地する関西国際空港を活用するものである。下地案では更に赤字地方空港への一部発着便の移転を並行して実施する。 移転先を関空とした場合のメリットはロイターなどにより下記が伝えられている。 物流への影響が懸念材料だったが、2005年に中部国際空港が開港したため、関空の活用可能性が増した 開港以来の営業不振の継続 海上島にあるため軍事訓練に活用されても、近隣住民への安全懸念が少ない 日本列島の中心にあり、朝鮮半島有事に対しては距離的に有利 また、府政情報室府民課は、府民からの意見の中には新たな観光資源としての期待もあった旨を述べている。 元々与党議員の下地が提起したこともあり、ロイターは政府・与党内での根回しの動きを伝え、岡田、前原は内々に賛意を示したと報じている。 当時鳩山は12月中の解決を模索していた。しかし、本案が正式な案として検討されることはなく、前原は「政府から指示がないため答えることができない」「1度地名を出すと大変な話なので」などと明言を避けた。J-CASTは「大手マスコミは黙殺した」と報じている。下地は2010年1月にも同様に米軍再編で空母艦載機部隊を受け入れ先となっていた岩国市長との会談で、普天間を関空に移転する自案を紹介している。その後も本案の検討は無く、2010年5月に鳩山は県外移設断念に至った。 なお、橋下は鳩山が辺野古移設の意思を表明した後の2010年5月18日、「日米で合意しているのだから、V字滑走路案にするべきだ。決まったことを履行してから沖縄の負担を軽減するためのロードマップ第2弾を日米で考えればいい」と述べた後、台湾の交流団体と会談に臨んだ。5月27日の知事会では再び「大阪は基地を負担していないので、真っ先に汗をかかなければならない」などと述べた。この発言を聞いた福岡県知事で知事会長の麻生渡は、「大阪は訓練の移転を受けたいと言っている。まずは大阪に条件を示すのが筋だ」と述べた。
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