開発歴史
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「Me 264 (航空機)」の記事における「開発歴史」の解説
Me264のデザインはメッサーシュミットの長距離偵察機プロジェクト、1930年代後半のP.1061を起源としている。このプロジェクトには複数の原型がありP.1061は4基、P.1062は2基のエンジンを用いることになっていた。P.1062ではDB 601エンジンを二つ繋げてひとつのプロペラを動かす双子式エンジンDB 606を二組搭載する予定であった。1941年前半にP.1061にMe264の名称が与えられた。 1930年代後半にドイツ航空省はドイツ本国からニューヨークを爆撃できる長距離爆撃機「アメリカ爆撃機計画」(Amerika Bomber Projekt)を提示した。(爆弾1000kg搭載の状態での行動半径が2900km、同じく2000kg搭載で1600kmを超えること、また最大速度は540km/hを超えることが、1936年の時点で要望されていた。計画ではフランスかアゾレスの空港からニューヨーク市を攻撃できる戦略爆撃機を開発するつもりだった)この計画ではエンジン6発の航空機が求められた。 この需要にこたえるために、ドイツの航空機メーカー各社からユンカースJu 390、フォッケウルフTa 400、およびエンジン6発のメッサーシュミットMe 264Bが提案された。結果、ユンカース社が提出した、Ju 390が既存の機体の改良型ということで開発期間を短縮できるため採用となった。Me264はメッサーシュミット社が戦闘機生産に集中する必要があったために一度計画は破棄されたが、ドイツの海軍がFw200コンドルの代替機として外洋偵察哨戒機を要求したとき、Me264が着目された。結果、Me 264Aは超長距離偵察機のための開発原型として原型2機の製作が発注された。 最初の原型(Me264V1)は1942年12月23日に初飛行をおこなった。Me264V1は当初、1,340hp(990kW)の4台のJumo 211Jエンジンを搭載していたが、1943年後半に1,750hp(1,290kW)のBMW 801Gに載せかえられた。 このMe264V1は防御武装と防弾装備を持っていない状態で完成され、Me264V2にはエンジン、乗組員への防弾装備が施された。さらにMe264V3には、防御武装が搭載された。 1943年に、ドイツ海軍は既存のJu 290と計画されたJu 390を支持するようになりMe264への興味を失っていた。結果として、1943年10月に、メッサーシュミット社にはMe 262ジェット戦闘爆撃機に焦点を合わせるようMe264開発のキャンセルが命令された。1943年末期、Me264V2が爆撃で破壊されて、Me264V1も1944年7月18日の空襲で破損して、修理されず放置されていた。 3番目の原型(未完成の状態だった)も同じ空襲で破壊された。1944年9月23日に、Me264プロジェクトに対する仕事は公式に中止された。
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開発歴史
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「Do 217 (航空機)」の記事における「開発歴史」の解説
最初の原型(Do217V1)は、1938年10月4日に初飛行したが、7日後に墜落事故を起こしてしまった。原因はエンジンのパワー不足によるものであり、Do217V1のエンジンは同時代の爆撃機に比べると明らかにパワーが不足していた。また、安定性も問題となっていたが、それは垂直尾翼の形状変更で解消された。 BMW 801エンジンを搭載してからパワー不足も解消され爆弾の搭載量も増大した。これによりDo 217はドイツ空軍爆撃機のなかで最大の爆弾搭載量を誇るようになった。 Do 217には急降下爆撃能力が求められていたために尾翼にダイブブレーキが装備される予定でいたが、初期型では十分な性能が得られずにDo 217E-2までダイブブレーキ機能は省略されていた。ダイブブレーキを装備した後期型でも、ブレーキの使用によって胴体後部に無理な負荷がかかったためブレーキを取り外した機体もあった。 Do217はハインケル He111やJu88よりはるかに大きい爆弾搭載量を持ち、最高速度でも優れていた。ハインケルHe177が完成するまではドイツ最大の爆撃機だった。 Do217は1943年9月、対艦誘導爆弾フリッツXで、イタリアの降伏後に連合軍側に移った戦艦ローマを撃沈した。Do217は1944年中頃まで使用されていた。
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