開発機体
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英字武器名称のあるものは北米版『OG』における表記。北米版『OG』で名称が異なるものは(日本版 / 北米版)の順に表記する。
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開発・機体
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「F-100 (戦闘機)」の記事における「開発・機体」の解説
F-86の後継となる超音速戦闘機の開発は1949年2月に開始された。開発当初は主翼後退角がF-86の35度から45度に変更されることから「セイバー45」という名称だった。空軍は更なる改良を求めたため、ノースアメリカン社は新設計のNA-180案を提案し、これが採用された。1951年11月にアメリカ空軍とノースアメリカン社との間で試作機YF-100A・2機と量産機F-100A・203機を製造する契約がむすばれた。最初の試作機YF-100Aは1953年5月25日にXJ57-P-7ターボジェットエンジンを搭載して初飛行し、水平飛行で音速を突破した。同年10月29日には速度の世界記録 1,215 km/hを作った。なお、当初搭載エンジンにはJ40も候補に挙がっていたが、このエンジンは失敗作で、採用した同時代の機体は全て開発遅延ないし開発中止に追い込まれており、J57を選定したことは本機にとって幸運であった。 ただし、最初の超音速戦闘機ゆえの限界もあり、水平飛行での音速突破は機外搭載物のないクリーン状態時に限られ、わずかでも機外搭載物があると水平飛行での音速突破は不可能であった。そのためF-101など、この後登場した多くのアメリカ戦闘機は、空対空ミサイルの機内搭載方式を採用しているが、一時期の事で終わり、その後に登場する多くの戦闘機は、機外搭載物があっても音速突破が可能になった。 機首にインテークを持ち、やや高めの低翼配置となった主翼は水平尾翼よりも若干上の位置に配置されている。この配置により、T字尾翼を採用したF-101やF-104で問題となったピッチアップのような悪癖が無く[要出典]、後年の戦闘機設計の範となった。固定武装として機首下面に20mm機関砲4門を装備。空中給油能力は当初保持していなかったが、F-100Cからは受油プローブが増設された。改良によって対地攻撃能力が強化されていき、決定版となったF-100Dはアビオニクスの更新などにより本格的な戦闘爆撃機に仕上がった。このF-100Dの改良型であるF-100Eは計画のみに終わり、最終型となったのは複座練習機型F-100Fであった。 構造材として、従来のアルミニウム合金よりも多くの面で優れているチタニウム合金を採用したのも本機の特色である。1953年〜54年にかけてのアメリカ合衆国のチタン生産量の80%が本機に使われたという。 ノースアメリカン社では発展型のF-107Aも試作されたが、こちらは採用には至らなかった。
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