開城・汶山-奉日川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 04:21 UTC 版)
「国境会戦 (朝鮮戦争)」の記事における「開城・汶山-奉日川」の解説
この地域を守備する韓国軍第1師団は、第12連隊(開城正面)と第13連隊(高浪浦正面)を前方配置し、第11連隊を水色において予備としていた。 開城においては、地域一帯の制高点である松嶽山(朝鮮語版)(標高486m)が北緯38度線の北側にあったため、韓国軍第12連隊の陣地は北朝鮮軍によって見下ろされる状態にあった上に、この朝、多くの兵員が休暇外泊によって配置を外れており、実勢力は1461名であった。また第12連隊の正面は70余キロもあり、北に通ずる道路や戦術上の制高点を押さえるために兵力が分散していた。この方面には、北朝鮮軍第6師団の主力2個連隊が指向されていたが、このうち第13連隊が松岳山を足場に韓国軍第12連隊第2大隊の防御陣地にいくらかの兵力を浸透させ、一部の兵力を迂回して後方から攻撃することによって瞬時に韓国軍の陣地を無力化させ、第15連隊も攻撃準備射撃と同時に1番道路に沿って開城に突進した。6時、北朝鮮軍は開城に突入し、開城鉄道警察と交戦した。韓国軍第12連隊は奇襲によって崩壊したため、北朝鮮軍は迅速に開城内の各道路を封鎖、遮断することで韓国軍第12連隊本部の支援を早期に断ち、開城鉄道警察隊の退路を遮断した。やがて北朝鮮軍の戦車5両が開城に侵入し、7時30分には残された警察隊員が最後の突撃を敢行し、北朝鮮軍の集中射撃を受けて戦死した。第12連隊のうち、組織的な後退に成功したのは連隊本部と2個中隊のみであった。開城を占領した北朝鮮軍第6師団は韓国軍を追撃し、金浦方面に進攻した。 高浪浦の韓国軍第13連隊は、5時ごろより北朝鮮軍による砲兵射撃を受け、これに続き第203戦車連隊の40両のT-34戦車の支援を受けた北朝鮮軍第1師団の攻撃を受けた。これに対し、第13連隊はまず57mm対戦車砲で射撃をしたものの効果は無く、爆雷や梱包爆薬、柄付き爆薬などによる肉薄攻撃に至った。これによって戦車4輌を撃破したものの、第一波約90名全員が戦死したため、後に続くものがいなくなり、ついに北朝鮮軍の戦車隊は陣地を蹂躙するに到った。これを受けて韓国軍第13連隊はそれ以上の防御戦闘を断念して、効果的に遅滞戦闘を行いつつ、計画どおりに臨津江南岸、坡平山の既設陣地に移動した。 一方、水色にあった第11連隊と第1師団司令部は秩序よく北上し、第13連隊の左翼に連係して、汶山付近の臨津江南岸の陣地に進入した。臨津江は全体に水量豊富で、渡河は臨津江鉄橋か、または第7師団との境界地域にあるカヨウルにおいて行なうしかなかった。このため、第1師団は臨津江北岸の部隊の撤退後、臨津江鉄橋を爆破する計画であった。しかし、壊乱した第12連隊、および休暇外泊中だった将兵が臨津江鉄橋を渡って三々五々と臨津江南岸に集結しつつあったため、爆破するタイミングの判断は困難であった。さらに、北朝鮮軍は第12連隊の後衛と混交状態で急追したため、ついに第1師団は鉄橋の爆破に失敗し、橋は無傷で北朝鮮軍の手に落ちた。しかし臨津江を活用した河川防御、および第1師団長の適切な陣頭指揮により、25日の戦闘は韓国軍の優勢のうちに推移し、北朝鮮軍の進撃は阻止されていた。
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