ソウル会戦 (第一次)
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第一次ソウル会戦(だいいちじソウルかいせん)は、朝鮮戦争勃発直後の国境会戦に連続して、1950年6月26日から6月28日にかけて、国境沿いから東西沿岸、中部地域、ソウル周辺までの広い地域を戦場として、大韓民国(以下、韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の間で行われた戦闘である。
注釈
- ^ 韓国国防軍史研究所(2000)による。陸戦史研究普及会(1966)によれば第7師団、開戦直後に第12師団と改称したとされている。
- ^ 『韓国戦争第1巻』は、兪成哲の証言[16]から第6師団の攻撃により、北朝鮮軍第12師団長崔忠国大佐は重傷を負い、後送途中に死亡した[17]としているが、彼の名前で出された第12師団命令が7月10日から30日まで出ていることから[18]、崔忠国の死亡は誤りだとする。
- ^ 当時、漢江に架かっていた橋は、鷺梁津と龍山を結ぶ漢江大橋(漢江人道橋)1本、京釜線の漢江鉄橋計3本、および江渡しに架設された廣壮橋(人道橋)1本の計5本であった。
- ^ 韓国公刊戦史の記述[24]。この時点ですでに3キロの橋頭堡を構築するほどの兵力が渡河していたが、これは北朝鮮軍が渡河した後、特別な戦闘行動をせず、韓国軍もこの地域に兵力をほとんど配置してなかったため認知が遅れたと推測される[34]。
- ^ この橋梁の過早爆破が韓国軍の戦闘能力を大きく減じ、また民間人に多数の犠牲を出したことから、その責任が誰にあるのかが問題となった。当時の参謀総長であった蔡秉徳少将(当時)は「軍事常識のあるものがそんな命令を下すはずがない」、国防次官であった張暻根は「私は命じない」と主張し、結局は、現場責任者であった陸軍本部工兵監の崔昌植大佐が責任をとらされて、 9月21日、釜山郊外で銃殺された。しかし1962年の再審の結果無罪となり、崔大佐の名誉は回復された。爆破時の消息を知る米軍顧問は、命令は蔡参謀総長より発せられており、崔大佐はそれを忠実に実行したに過ぎないと信じており、また、当時作戦局にいた匿名の高官や、参謀副長であった金白一大佐(当時)は、張次官による命令であったと考えているとのことである(陸戦史研究普及会 1970: 68)。
- ^ ただし行方不明者の大部分は後に原隊復帰した。
- ^ 陸戦史研究普及会(1970: 77)に要約された北朝鮮の公刊戦史の記述による。
出典
- ^ a b 萩原(1997)。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 陸戦史研究普及会(1970)。
- ^ a b c d e f g 韓国国防部 2017, p. 464.
- ^ a b 朱 1992, p. 254.
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- ^ a b c 韓国国防部 2017, p. 466.
- ^ 朱 1992, pp. 256–257.
- ^ 朱 1992, p. 257.
- ^ 朱 1992, p. 258.
- ^ a b 軍史研究所 2000, p. 169.
- ^ a b 軍史研究所 2000, p. 170.
- ^ a b c 軍史研究所 2000, p. 171.
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- ^ a b c 軍史研究所 2000, p. 174.
- ^ “6ㆍ25때 북한군 작전국장/유성철 “나의 증언”:10” (朝鮮語). 韓国日報. (1990年11月13日) 2019年11月3日閲覧。
- ^ a b 軍史研究所 2000, p. 175.
- ^ 和田春樹『朝鮮戦争全史』岩波書店、211頁。
- ^ 軍史研究所 2000, p. 161.
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- ^ 軍史研究所 2000, p. 154.
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- ^ 軍史研究所 2000, p. 159.
- ^ 軍史研究所 2000, p. 200.
- ^ 軍史研究所 2000, p. 189.
- ^ 軍史研究所 2000, p. 194.
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- ^ a b 정상혁 2019, p. 336.
- ^ a b 정상혁 2019, p. 337.
- ^ 軍史研究所 2000, p. 201.
- ^ 軍史研究所 2000, p. 203.
- ^ 陸戦史研究普及会編(1970: 67)。
- ^ “朴正煕 逝去30周年記念連載⑫ ― 企てられたクーデター”. 統一日報. (2009年6月6日) 2010年4月24日閲覧。
- ^ 朱 1992, p. 272.
- ^ 朱 1992, pp. 272–273.
- 1 ソウル会戦 (第一次)とは
- 2 ソウル会戦 (第一次)の概要
- 3 戦闘に到る経緯
- 4 脚注
- ソウル会戦 (第一次)のページへのリンク