韓国軍の敗退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 03:39 UTC 版)
詳細は「ソウル会戦 (第一次)」、「保導連盟事件」、および「漢江人道橋爆破事件」を参照 南北の軍事バランスに差がある中で、北朝鮮軍の奇襲攻撃を受けた韓国軍は絶望的な戦いを続けていたが、保導連盟事件と同日の6月27日、韓国政府は首都ソウルを放棄し、水原に遷都。6月28日、ソウルは北朝鮮軍の攻撃により市民に多くの犠牲者を出した末に陥落した。この時、命令系統が混乱した韓国軍は漢江にかかる橋を避難民ごと爆破したため(漢江人道橋爆破事件)、漢江以北には多数の軍部隊や住民が取り残され、自力での脱出を余儀なくされた。また、この失敗により韓国軍の士気も下がり、全滅が現実のものと感じられる状況になった。 韓国軍の緒戦の敗因には、経験と装備の不足がある。北朝鮮軍は中国共産党軍やソ連軍に属していた朝鮮族部隊をそのまま北朝鮮軍師団に改編した部隊など練度が高かったのに対し、韓国軍は将校の多くは日本軍出身者だったが、建国後に新たに編成された師団のみで各部隊毎の訓練は完了していなかった。 また、来るべき戦争に備えて訓練、準備を行っていた北朝鮮軍は、装備や戦術がソ連流に統一されていたのに対して、韓国軍は戦術が日本流のものとアメリカ流のものが混在し、装備は旧日本軍の九九式小銃などが中心であり、米韓軍事協定の制約により、重火器はわずかしか支給されず戦車は1輌も存在しなかった。また航空機も、第二次世界大戦中に使用されていた旧式のアメリカ製観測機(L-4、L-5)とカナダから購入した複座の練習機(T-6)が少数あるのみだった。その結果、陸軍は瞬く間に潰滅し敗走を続け、貧弱な空軍も緒戦における北朝鮮軍のイリューシン Il-10攻撃機などによる空襲で撃破されていった。 ところが、韓国軍が総崩れの中で北朝鮮軍は突然南進を停止し、3日間の軍事的な活動の空白の時間を生んだ。結果的に、韓国軍は勢力を巻き返すための貴重な時間稼ぎをする事ができた。形勢有利な筈の北朝鮮軍が突然軍事活動を停止した理由について明確な理由は不明であるが、一説によると、韓国の農民が蜂起することを期待していたためともいわれる。
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