韓国軍の強化
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1951年5月末、カンザスラインをほぼ確保した時点で、再び機動戦が展開されることはないと判断され、第8軍と韓国陸軍本部は協議して韓国軍の再訓練に取り掛かった。 1951年7月、野戦訓練団が束草の南側に創設され、アメリカ軍から第9軍団副軍団長のトーマス・クロス准将をチーフとする教官、助教あわせて150人が派遣された。訓練期間は9週間を予定し、各個教練、小銃射撃、分隊訓練の基本から師団司令部の幕僚勤務まで、あらゆる訓練をやり直した。最初の訓練対象は第3師団となり、9週間後の検閲で合格し、アメリカ軍第10軍団に編入されて第一線に復帰した。1952年末までに全10個師団が訓練を受けた。 既存部隊の再訓練と並行して各兵科の専門教育の充実も計られた。何千人もの将校、下士官がアメリカの陸軍歩兵学校や砲兵学校などの実施学校で受け、高級幹部はアメリカ陸軍指揮幕僚大学にも留学している。5〜10ヵ月の短期課程を終えて帰国した要員は、17の各種実施学校の教官、助教となった。済州島に開設された第1訓練所には負傷して前線勤務が出来なくなった者を教官や助教に充て、新兵には16週間の基本教練が行われ前線に補充された。 1952年1月に正規4年制の陸軍士官学校が鎮海で開校され、4月から教育を始めた。また1951年12月には大邱に幕僚学校が開設されて参謀の育成も始まった。 戦線では再訓練の効果が現れ、東部戦闘地区と中央東側戦闘地区における国連軍の攻撃作戦の多くは、ほとんど韓国軍の部隊で実行された。 将来予想される休戦線の長さ、韓国の国力、期待できる軍事援助などを考慮し、20個師団が必要と算定し、1952年11月から新師団の編成が始まった。1952年末の時点で前線部隊の4分の3近くを韓国軍が占めるようになり、前線に配備された16個師団のうち、11個師団は韓国軍、3個師団は米陸軍、残りの2個師団はそれぞれ米海兵隊と英連邦軍であった。他の韓国軍部隊は、韓国海兵連隊をアメリカ軍第1海兵師団に編入させるなどして、いくつかのアメリカ軍師団を補強した。またヴァンフリートは予備として韓国軍1個師団とアメリカ軍3個師団を用意した。20個師団体制は休戦後の1953年11月に確立した。
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