韓国軍による日本人漁民殺害と日本漁船拿捕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:29 UTC 版)
「竹島問題」の記事における「韓国軍による日本人漁民殺害と日本漁船拿捕」の解説
朝鮮戦争中の1952年1月18日に韓国の李承晩大統領によって海洋主権宣言に基づく漁船立入禁止線(いわゆる李承晩ライン)がひかれ、竹島が韓国の支配下にあると宣言した。1952年のこの宣言から1965年(昭和40年)の日韓基本条約締結までに、韓国軍は李承晩ライン越境を理由に日本漁船328隻を拿捕し、日本人44人を死傷させ、3,929人を抑留した。1947年から1965年末までに日本人8人の死亡が確認されている。韓国側から日本の海上保安庁 巡視船への銃撃等の事件は15件におよび、16隻が攻撃された。 1953年(昭和28年)1月12日、韓国政府が李承晩ライン内に出漁した日本漁船の徹底拿捕して以後、日本漁船の拿捕や銃撃事件が相次ぎ、日本の漁業従事者に死傷者が多数出る事態となった。同年2月4日には第一大邦丸事件が発生した。済州島付近で操業中の同船が韓国側に銃撃を受け、漁撈長の瀬戸重次郎が死亡した。
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