29日以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 15:46 UTC 版)
「ソウル会戦 (第一次)」の記事における「29日以後」の解説
29日、洪川前方の高地群を失い、またソウルの失陥および第8師団の後退によって第6師団のみが敵中に取り残されるかたちになったことから、韓国軍第6師団長は第2、第7連隊に洪川南側への後退を命じた。こうして同師団は国境会戦に続く5日間の前方防御戦闘を終え、同日午後より洪川~原州方向に逐次後退し、阻止陣地において、江陵から原州に向けて後退中の第8師団を掩護した。 韓国軍第6師団の頑強な抵抗により、北朝鮮軍第2軍団は戦車を含めて人員・装備に多くの損害を受けた。また進撃も著しく遅滞され、第1軍団との連携にも失敗し、同軍団が春川を確保したのちに突進してソウルを包囲し、韓国軍主力の後方を遮断するとの構想は破綻し、作戦計画に大きな蹉跌を来たした。 この防御戦闘により、韓国軍第6師団には春川の岩というあだ名がつき、“華の六師団”と称えられた。一方、満身創痍の北朝鮮軍第2師団は加平を経てソウルに前進し、第7師団は洪川から原州に南下した。
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