洪川正面とは? わかりやすく解説

洪川正面

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 15:46 UTC 版)

ソウル会戦 (第一次)」の記事における「洪川正面」の解説

26日朝、韓国軍第2連隊は、この時点掌握していた2個大隊により、計画通り反撃開始したが、北朝鮮軍強力な歩戦協同攻撃遭遇し後退余儀なくされた。この後退は、上述した師団長指示により春川より急派された第16野戦砲兵大隊第1中隊によって掩護されたが、北朝鮮軍急追受けて第2連隊指揮系統瓦解し多く損害出して哲亭里に後退した同日午後遅く集結したところ、第2連隊兵力は1個大隊当にすぎなかった。第2連隊長はマル峠に新たな防御陣地編成する決心をし、連隊再編成行なった。小マル峠に第1大隊が、大マル峠に第2大隊配置され対戦車撃滅地帯編成された。 一方、縣里に配置され連隊本部との連絡取れなくなっていた第3大隊は、国境会戦においてフク峠~チンダリ一帯激戦したのち、26日にはオミジェに後退していた。 このとき洪川正面で攻撃していたのは北朝鮮軍第12師団で、韓国に最も深く侵攻していた師団であったこのまま攻撃続行すれば26日中には洪川奪取し韓国軍第6師団退路遮断できる見込みであったが、この夜、同師団は、麟蹄引き返したのち春川東方進出し第2師団共同春川攻撃するよう命令受けた北朝鮮軍、およびその基本となるソビエト軍戦闘教義においては、〈敵を撃破することが目的で、都市解放は、敵の撃破というその結果から自然に生まれるものだ〉とされているが、この場合は、例外的に春川奪取優先するものと見なされた春川奪取したのち突進しソウル南方進出して韓国軍主力包囲するという構想は、現第2軍団長が作戦局長であった際に作成されたものであったため、この構想成否軍団長重大な関心事であった26日夕、第12師団春川北側到着し第2師団合流した韓国軍第6師団長はこの動き察知できず、かえって師団予備洪川移動させ、また洪川正面の第2連隊増強する決心をした。これはマル峠が戦車先頭にした北朝鮮軍部隊圧力受けており、ここで洪川奪取され場合師団退路遮断されることを憂慮しことによる措置であった

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洪川正面

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ソウル会戦 (第一次)」の記事における「洪川正面」の解説

春川正面重要な局面に到っていた27日、東の洪川第2連隊正面では、韓国側予期とは異なって北朝鮮軍小規模な歩戦協同部隊マル峠に投入して威力偵察行なうとどまり本格的な攻撃行動はなかった。同連隊マル峠の防御強化し、また同日夕、洪川到着した19連隊第3大隊マル西南方の後方配置した。第19連隊主力春川楊口麟蹄から洪川到る両側制圧できる望嶺山に配置され洪川防御強化した

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