春川~洪川正面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 04:21 UTC 版)
「国境会戦 (朝鮮戦争)」の記事における「春川~洪川正面」の解説
中部戦線を守備する韓国軍第6師団は、防御地域西側を南北に流れる北漢江と、前方を横切る昭陽江を利用して、第7連隊は春川正面において昭陽江の北岸に、第2連隊は洪川正面において昭陽江の南岸に前方配置し、第19連隊を原州において予備としていた。同師団は既に3分の1の兵員が外出・外泊していたが、独自の情報と判断に基づき警戒態勢をとっていた。ただし、第2連隊は6月20日に編入されて第8連隊と交替したばかりであり、第19連隊も5月1日に編入されたばかりで、態勢はいまだ整っていない状態であった。これに対する北朝鮮軍は、第2師団を主攻として春川を攻撃し、25日中にこれを占領するとともに、第12師団を独立戦車連隊で増強して洪川方面に突進させ、早期にこれを占領したのち、迂回してソウルを包囲する計画であった。 第7連隊の正面、38度線の南側300mにある毛津橋は、北漢江の渡河において重要な橋であったが、北朝鮮軍の瞰制下にあったためにこれを爆破できず、第7連隊の防御は一気に崩れてしまった。北朝鮮軍の迅速な進撃もあって第7連隊は遅滞に失敗し、北朝鮮軍は同25日9時ごろには春川が見える付近まで進出し、いったん進撃を止めた。しかし第7連隊の戦闘配置は迅速かつ整然と進行し、また対戦車中隊第2小隊(小隊長:沈鎰少尉)が北朝鮮軍の自走砲の破壊に成功したことで、戦車に対する恐怖心も薄れていた。この方面の攻撃を担当した北朝鮮軍第2師団は春川市の攻略にあたって、第4連隊の正面攻撃によって韓国軍を牽制し、その隙に、密かに第6連隊で北漢江の河床を前進させ、中央を突破しようとした。しかし第6連隊は、韓国軍の105mm榴弾砲の直接射撃を受け、河床とあって遮蔽もなく、両岸が崖であったために退避もできず、大損害を受けた。また、正面攻撃を行なった第4連隊も、待ち構えていた韓国軍の猛射を受けて大損害を出した。河床道の第6連隊は、韓国軍砲兵の集中射撃によって50%に達する損害を受け、第4連隊は督戦を受けて突撃を繰り返したものの、攻撃は頓挫した。 一方、洪川正面の第2連隊は、上述の通り隷属替えされた直後であり、警備区域の地形の把握も不十分で、第2大隊に到っては洪川に到着したばかりで、装備の梱包すら解いていなかった。この第2大隊は予備として決雲里に拘置され、第1大隊は最前方の冠岱里に、第3大隊は右前方の縣里に配置されていた。これに対する北朝鮮軍は、第12の1個師団を独立戦車連隊で増強したもので、その主攻は冠岱里に、助攻は縣里に指向されていた。この25日、前日の大雨によって昭陽江は増水して韓国軍にとって有利な障害となっており、冠岱里の韓国軍第2連隊第1大隊は、冠岱里北方の渡し場で渡河を試みた北朝鮮軍を2度にわたって撃退した。しかし北朝鮮軍の猛烈な砲撃によって同大隊は3分の2もの損害を出し、弾薬も消耗し、ついに後退した。また、第2連隊の警備区域は地形的に東西に分断されており、縣里の第3大隊について、連隊本部では所在すら把握できなくなっていた。一方、予備となっていた第2大隊は、冠岱里の南方に位置する於論里まで前進し、後退してきた第1大隊とともに守備についた。第2大隊は交戦によって北朝鮮軍戦車1両を撃破、1両を擱坐させ、さらに全火力を集中することで歩戦を分離させ、ついに撃退に成功した。この戦果に勇気を得た第2連隊は、この時点で掌握していた2個大隊により、翌朝をもって反撃に出ることとした。しかし同連隊の戦闘力を考えると、これは冒険であった。
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