金浦方面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 15:46 UTC 版)
「ソウル会戦 (第一次)」の記事における「金浦方面」の解説
ソウルの北方防衛線が議政府と奉日川地域において危機に直面していたとき、漢江河口地域の金浦地区においても、北朝鮮軍がソウルを側面より脅かしていた。金浦半島北端の漢江河口は川幅広く、潮の満ち干の影響も受けて渡河作戦の遂行が困難であることから、韓国軍はこの地域での防御を用意していなかった。 開城を占領した北朝鮮軍第6師団はそのまま南下して漢江に到着すると渡河を開始し、翌26日午前6時30分までに2~3個大隊、連隊砲兵2門が渡河して3キロの橋頭堡を確保した。さらに27日には第13連隊と第15連隊の主力、砲兵連隊の2個砲隊、第17独立砲兵連隊第2砲隊を渡河させ、橋頭堡を5~6キロ拡大させた。 この兆候の報告を受けた韓国陸軍本部は急いで桂仁珠大佐(南山学校長)を金浦地区戦闘司令官に任命し、渡河後退してきた第12連隊第2大隊を含め、南山学校、歩兵学校、工兵学校の生徒や報国大隊等の各隊、またここに投入された独立機甲連隊の一部を統合し、北朝鮮軍の渡河に備えるよう命令した。 26日16時、韓国軍防御部隊が陣地編成を終えるころ、北朝鮮軍の渡河偵察が現れはじめ、2時間後、数隻の北朝鮮軍船舶が金浦半島北端のカンリョンポに接近してきた。正面の第12連隊第2大隊第5中隊は下船しはじめた北朝鮮軍を痛撃してこれを殲滅、また装甲1個小隊はM8装甲車搭載のM3 37mm砲の射撃によって貨物船を撃沈した。 しかし同日夜、北朝鮮軍は小規模の部隊をカンリョンポ一帯の高地より隠密に浸透させる一方、1個中隊規模の部隊を江華島に揚陸して報国大隊の背後を急襲した。 27日未明より、北朝鮮軍第14連隊は対岸からの支援射撃を受けつつ本格的な渡河を開始した。韓国軍防御部隊は苦戦に陥り、また報国大隊が突破されて退路が遮断されたことを知り、防御線は崩壊しはじめた。韓国陸軍本部はこの危機に対し、第3師団より第22連隊第3大隊、首都警備司令部より第8連隊第3大隊、機甲連隊徒歩捜索大隊第8中隊を金浦地区戦闘司令部に配属して増強した。同司令部は同日夕、後退してきた部隊を収容して新手を加え、金浦防御の最終砦として雲游山~73高地の線を指定し、防御陣地を編成した。チャンリム一帯を掌握した北朝鮮軍主力は追撃を止め、再編成に入っていた。 28日早朝、北朝鮮軍は二正面より同時に攻撃を開始した。渡河部隊を満載した漁船で漢江を遡上し、テチョン北側に上陸する一方、戦車2両を先頭とする主攻を、金浦に向かう道路接近路に指向して、前日夕に投入された韓国軍第22連隊第3大隊正面を攻撃した。韓国軍は2.36インチロケット砲に加えて装甲車の37mm砲の射撃を集中したが、北朝鮮軍戦車を阻止することはできなかった。防御線の一角が破れ、金浦地区戦闘司令官は直ちに予備の第12連隊第2大隊(一部部隊欠)を投入して反撃を試みたが苦戦を免れず、既に金浦市内にも北朝鮮軍の砲弾が落下するなか、防御部隊は後退を開始した。
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