開城の占領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 18:42 UTC 版)
5月19日、一番隊・小西行長らが臨津江へ向け出発した。27日、一番隊と二番隊が合流し、臨津江の下流から渡河すると、この地を守備していた李薲らの朝鮮軍は遁走し、一矢も放たずに駆逐された。臨津江の戦いでの敗北後、残兵を集めていた都元帥金命元と李陽元らも平壌へ逃走した。日本軍は開城を占領し、二番隊が金郊駅から右折して咸鏡道に向かい、一番隊と後続の三番隊が平壌に向けて追撃を続けた。
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