長坂道・追分道
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長坂道(ながさかみち)は、『天保十二年丑年五月知多郡桶廻間村圖面』に示すところの名称で、丘陵上の桶廻間村から谷底の有松村に至るまで長い坂が延々と続いていたことから名付いたと考えられる。「三河街道」あるいは「師崎街道」の一部をなす。2013年(平成25年)現在は消滅している有松町大字有松字長坂北、一部が残る同字長坂南などの字名、国道1号の長坂南交差点の名は、この里道に由来している。他に、『寛文村々覚書』に示すところの「有松道池」から推定しうる「有松道(ありまつみち)」、『天保十二年丑年五月知多郡桶廻間村圖面』に記載のある「鳴海道池」から推定しうる「鳴海道(なるみみち)」、『天保十二年丑年五月知多郡有松村圖面』に示すところの「桶廻間村道(おけばさまむらみち)」などの名が知られている。 現在の郷前交差点から北に延びる市道(名古屋市道有松橋東南第2号線)が、往時の長坂道のルートをほぼ踏襲している。セト山交差点、大池南岸のクランク、幕山交差点、地蔵池西岸などを経て、ファミリーマート武路町店付近で分レ道との分岐に至る(位置)。現在では分レ道側が名古屋市道有松橋東南第2号線のまま幹線道として整備され、国道1号に向かって降りていくが、長坂道はここで左に折れて名古屋市道長坂線となり、高根山の南側山麓を走る細い路地となる。名古屋市道有松第157号線と交わる付近では大字桶狭間と大字有松の境界線が走り、また区画整理が進んで往時の道筋がわかりにくくなっているほかは、往時の街道と現在の市道のルートはほぼ同一である。大字有松に至ってからは三丁山の丘陵を越え、有松市街地へとほぼまっすぐ下る坂が延々と続く。なお下り坂の途中付近では、愛知県道243号東海緑線の建造の際に国道1号の南側の丘陵に切通しが設けられたことで道が一時分断されていたが、有松橋(位置)が架けられて再びつながっている。そのすぐ先では国道1号との有松町交差点があり、かつては信号機が敷設されていたが、2013年(平成25年)現在では撤去されている。そして国道1号以北では有松市街地となり、江戸時代から明治時代にかけては東海道筋と同様に絞商工業者が軒を並べた界隈であり、現在でも沿道に有松しぼり久田本店があるほか、町屋の長坂弘法堂などが残る。 なお大正年間の地形図には、長坂道は1間(約1.8メートル)から1間半(約2.7メートル)の道幅を持つ里道として記載されているが、2013年(平成25年)現在でもとりわけ大字有松地内における市道の道幅は2.7メートル以内の狭隘な箇所が多く、舗装がなされている以外はその様相に昔からほとんど変化が無いことが見て取れる。また有松しぼり久田本店付近の長坂道からは東へさらに細い市道(名古屋市道有松第15号線)が分岐しており、かつて絞商屋同士が商品の貸し借りのために客に分からないよう行き来したことから「絞り小径(しぼりこみち)」と呼ばれる幅員1メートルほどの裏道である。 有松市街地の西端近く、大雄山祇園寺の山門から東海道を挟んだ向かいに、南東方向へ分岐する小さな小道がある。これが長坂道であり、大字桶狭間から見ればこの東海道との合流点(位置)が長坂道の終点となる。 追分道(おいわけみち)は「三河街道」あるいは「師崎街道」の一部をなし、本項では郷前交差点より南方面へ向かう道筋について記述するものである。長坂道と同じく、現在の名古屋市道有松橋東南第2号線が往事のルートをほぼ踏襲しており、大字桶狭間南方の字井龍へと至る。国道23号のゲート下をくぐった付近(位置)で、そのまま南へ向かう道と南西へ向かう脇道とが分岐するが、南西方面の脇道が追分道であり、『知多郡村邑全図』が示すところの「大符道」でもある。分岐せずにそのまま進む道は『知多郡村邑全図』が示すところの「横根道」で、現在では分岐以降において名古屋市道桶狭間線に切り替わり、70メートルほどでまもなく大府市に至る。 なお、大府市内の追分道ないし大符道は、原(現大府市東新町5丁目付近)(位置)・追分(現大府市追分町)の集落を経て大浜街道(現愛知県道50号名古屋碧南線)に接続する。同じく大府市内の横根道はそのまま現在の国道366号に近いルートで南下し、横根村の中心地(現大府市横根町字中村・字前田)へと続く。知多郡誌は緒川村以北の師崎街道を俗に大浜街道というとあり、他方で「三河街道」は横根村を経て三河国へ至っていたものと考えられている。すなわち相原郷あるいは有松村に端を発する「三河街道」は字井龍の分岐以南においては横根道のことを指し、同様に有松村に端を発する「師崎街道」は字井龍の分岐以南においては追分道・大符道のことを指すと考えることが可能である。 旧長坂道と旧分レ道の分岐部。右奥へそのまま下っていくのが旧分レ道、左奥の丘陵へ登っていく小道が旧長坂道である(2012年(平成24年)9月(撮影位置、北方面を望む))。 旧長坂道と国道1号の合流部(2012年(平成24年)9月(撮影位置))。 旧長坂道沿いにある長坂弘法堂(2012年(平成24年)9月(撮影位置))。 旧長坂道沿いにある有松しぼり久田本店(2012年(平成24年)9月(撮影位置))。 旧東海道と旧長坂道の合流部。右手前から左奥に向かう道が東海道、右奥から進入してきた小道が長坂道である(2012年(平成24年)9月(撮影位置、南東方面を望む))。 旧東海道と旧長坂道の合流部付近にある大雄山祇園寺の本堂(2012年(平成24年)9月(撮影位置))。
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