桶狭間の交通とは? わかりやすく解説

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桶狭間の交通

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/06 07:27 UTC 版)

桶狭間の交通(おけはざまのこうつう)では愛知県名古屋市緑区と愛知県豊明市にまたがる地域である桶狭間における交通について、名古屋市内の部分を中心に述べる。


注釈

  1. ^ 『尾張徇行記』(1808年(文政5年))は、大脇村から近崎村・北尾村・横根村・大符村・緒川村へ抜ける街道、すなわち現在の愛知県道57号瀬戸大府東海線国道366号に近いルートを「東浦街道」としている[21]
  2. ^ 『天保十二年丑年五月知多郡桶廻間村圖面』には「市右衛門池」と記されている[35]
  3. ^ 交差点の北側に、高さ2メートルほどの地蔵が建立されている。知多四国霊場の巡礼者が特に多い時期には(空海の命日である3月21日前後など)、一日中読経の声と焼香が絶えなかったといわれる[34]
  4. ^ 大脇村では、右折し清涼山曹源寺へと向かう道を「おけば道」といい、そのまま東進を続ける道を「大高道」と呼んでいたようである(大脇村の視点からすれば、共に進行方向が逆向きであることに注意)[36]。なお2013年(平成25年)現在、この分岐部は不明瞭である。
  5. ^ 後年の愛知県道57号瀬戸大府東海線。豊明市域では南方に作られたバイパスが県道として認定され、旧県道は現在では豊明市によって管理される市道となっている。
  6. ^ この付近の地名を豊明市阿野町字大高道(おおだかみち)といい、当地がかつて街道沿いにあったことの名残を伝えている[34]
  7. ^ 北尾村は知多郡に所属した村で、現在の大府市字北屋敷・城畑・南屋敷付近に集落が存在している。1876年(明治9年)、同じく知多郡に所属する近隣の近崎村と合併して北崎村となり、消滅する[38]
  8. ^ 近崎村は知多郡に所属した村で、現在の大府市北崎町7丁目から神田町6丁目付近にかけて集落が存在している。
  9. ^ 『天保十二年丑年五月知多郡桶廻間村圖面』では東海道ではなく「廣坪田面」付近から端を発しているようにも見える[35]
  10. ^ 天白川水系手越川(てこしがわ)を指す。
  11. ^ 厳密なところの近崎道は、この先の井田熱田神社付近で市道からはずれ左に折れるようなコースをとり、北崎インターチェンジとは交わらない[43]
  12. ^ 改札口を出て右側の出入口を進むとそのままイオンタウン有松へ直結する。

出典

  1. ^ 有松町史編纂委員会 1956, pp. 88–89.
  2. ^ 名古屋鉄道広報宣伝部 編『名鉄電車・バス時刻表』 VOL.3、名古屋鉄道、1986年。 
  3. ^ 名古屋市立有松小学校 1974, p. 29.
  4. ^ 名古屋市教育委員会 1997, p. 77.
  5. ^ a b 有松町史編纂委員会 1956, p. 89.
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n 名古屋市道路認定図(名古屋市緑政土木局道路部道路利活用課、2012年(平成24年)10月9日閲覧)
  7. ^ a b c 名古屋市立有松小学校 1974, p. 84.
  8. ^ 名古屋市立桶狭間小学校 1995, p. 32.
  9. ^ 名古屋市立有松小学校 1974, pp. 84–85.
  10. ^ 有松町史編纂委員会 1956, p. 49.
  11. ^ a b c d e 陸地測量部 1924.
  12. ^ 有松町史編纂委員会 1956, p. 90.
  13. ^ 道路整備の方針(2010年(平成22年)11月16日)(名古屋市公式ウェブサイト、2012年(平成24年)11月11日閲覧)
  14. ^ 報道資料 令和3年3月25日発表 都市計画道路 桶狭間勅使線の供用について
  15. ^ 榊原邦彦 1984, p. 261.
  16. ^ 山口輝雄 2006, p. 30.
  17. ^ a b 「大脇の歴史」編集委員会 2003, p. 92.
  18. ^ a b c d e f g h 梶野渡 2010, p. 47.
  19. ^ 名古屋市蓬左文庫 1976, p. 175.
  20. ^ 名古屋市教育委員会 1997, p. 76.
  21. ^ a b 大府市誌編さん刊行委員会 1986, p. 332.
  22. ^ a b 田中重策 編『尾張国知多郡誌』 3巻1、久松与助、1893年。NDLJP:992111 
  23. ^ 榊原邦彦 2000, p. 200.
  24. ^ 榊原邦彦 2000, p. 203.
  25. ^ 名古屋市教育委員会 1966, p. 99.
  26. ^ 山口輝雄 2006, p. 32.
  27. ^ 加納誠 2005, p. 103.
  28. ^ 名古屋市教育委員会 1997, p. 83.
  29. ^ 加納誠 2005, p. 102.
  30. ^ a b 榊原邦彦 2000, p. 119.
  31. ^ a b 山口輝雄 2006, p. 31.
  32. ^ a b 加納誠 2005, p. 11.
  33. ^ 榊原邦彦 2000, p. 114.
  34. ^ a b c d e 「大脇の歴史」編集委員会 2003, p. 94.
  35. ^ a b c d 大府市誌編さん刊行委員会 1982, 桶廻間村絵図.
  36. ^ 「大脇の歴史」編集委員会 2003, p. 95.
  37. ^ 豊明市史編さん委員会 1993, p. 392.
  38. ^ 大府市誌編さん刊行委員会 1986, p. 399.
  39. ^ 陸地測量部 1900.
  40. ^ 名古屋市教育委員会 1997, p. 79.
  41. ^ 桶狭間の戦い広域マップ(名古屋市緑区役所まちづくり推進室・豊明市産業振興課編)(PDFファイル、1.85メガバイト)(豊明市、2012年(平成24年)9月29日閲覧)
  42. ^ 加納誠 2005, p. 118.
  43. ^ 加納誠 2005, p. 120.
  44. ^ 大府の地名の由来・北崎町(大府市、2012年(平成24年)10月22日閲覧)
  45. ^ 津田正生 1975, p. 677.
  46. ^ a b 有松土地区画整理事業(名古屋市公式ウェブサイト、2012年(平成24年)10月1日閲覧)
  47. ^ 名古屋市教育委員会 1997, p. 84.
  48. ^ 有松東海道無電柱化通信(有松プロジェクト委員会、2012年(平成24年)10月3日閲覧)


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