長坂橋大喝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 00:18 UTC 版)
建安13年(208年)、荊州牧の劉表が死去し、曹操が荊州へ進軍すると劉備は江南へと逃げた。曹操は昼夜をかけてこれを追い、当陽県の長坂まで到着した。劉備は曹操がやってきたと聞くと妻子を棄てて逃走し、張飛は20騎ほどを従えて殿軍を引き受けた。張飛は川に拠って橋を落とし、目を怒らせ矛を横たえて「燕人(えんひと)張飛、これにあり!俺と勝負したい奴はいるか!」と曹操軍に向け大喝一声したところ、誰もあえて近づこうとしなかった。これによってついに劉備は落ち延びることができた(長坂の戦い)。 劉備が赤壁の戦いの後、荊州南部を攻略すると、張飛は宜都太守・征虜将軍に任命され新亭侯に封じられた。しばらくして張飛は南郡に転任することになった。
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