野球賭博関与、解雇、その後
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「琴光喜啓司」の記事における「野球賭博関与、解雇、その後」の解説
5月場所中に大相撲野球賭博問題が発覚する。 詳細は「大相撲野球賭博問題」を参照 当初、相撲協会は賭博関与を申告すれば厳重注意で済ませるとしており、琴光喜は関与していたことを告白、7月場所の自主謹慎を申し出る。しかし6月27日、設置された特別調査委員会から、除名もしくは解雇処分の勧告案が出され、翌日の臨時理事会と評議員会で勧告案が受け入れられた。さらに7月4日の臨時理事会で処分が決定、16代大嶽(貴闘力忠茂)と共に解雇となった。8月30日に後援会が解散。解散式に琴光喜本人は出席せず、謝罪の手紙が届けられた。翌8月31日には力士会での会合の結果、現役力士たちが琴光喜の引退相撲開催を検討していると報じられたが、2011年2月1日に開催された力士会と協会本部との意見交換会で「引退相撲について、国技館の使用はけじめが必要」と会場貸し出しを認めない決定をしたが、別会場での開催は「参加は各自の判断」と容認された。 琴光喜本人はこの処分に納得しておらず、9月13日、東京地裁に相撲協会の解雇処分は不当なものであるとし、力士としての地位保全仮処分申請を申し立て、FLASH2010年11月30日号にて「土俵に上がれるなら・・何でもします」と語った。なお、現役中から琴光喜を応援していたデヴィ・スカルノは野球賭博問題早期から琴光喜現役復帰への署名活動を応援している。 11月30日、旧後援会会員らで構成される「琴光喜関を救う会」代表が約5万8000人の署名が添えられた琴光喜の処分見直しを求める嘆願書を村山弘義相撲協会副理事長らに手渡した。地位保全申し立ては却下されていたことが2011年1月10日に判明した。また、1月12日付けで「琴光喜関を救う会」が提出していた嘆願に協会側が対応を取らないとの回答が1月6日付けでされていたことも明らかになった。 2011年2月4日、大相撲野球賭博問題の胴元として逮捕された容疑者から押収された携帯電話のメールを復元したところ、琴光喜あての携帯メールの中に相撲賭博に関するものがあったと報道された。内容は平成19年11月場所初日の幕内取組5つの勝敗を東西のどちらが多いかを賭ける「五番勝負」というもので、中には「東大関」の琴光喜対「西小結」安馬戦も含まれていた。相撲賭博に関しては証拠が乏しく立件が困難とされ、捜査は終結した 2月28日、野球賭博問題をめぐる琴光喜恐喝事件の検察側証人として出廷した。公の場で野球賭博への関与を初めて認めた琴光喜は、「マスコミに知られると相撲協会に解雇されると思い、恐怖を感じて金を払った。早く忘れたい」と心境を語った。10月7日、琴光喜を脅迫していた元力士に懲役4年6月の実刑判決が下った。 3月3日、大相撲野球賭博問題に関する「賭博開帳図利容疑」で書類送検されたが、3月17日に容疑不十分との理由で不起訴処分となった。 4月28日、琴光喜は力士としての地位確認を求め、相撲協会を提訴した。琴光喜と協会側の主張は平行線をたどり、和解協議も決裂していた。琴光喜の代理人は「双方とも同じ主張を繰り返してきた。裁判所に判断を任せたい」とコメントした。9月12日に東京地裁から「解雇有効」の判決が下り請求棄却、琴光喜側は東京高裁へ控訴するも、2014年2月5日、高裁は同様に「解雇は正当」と判断し、琴光喜側の請求を退けた。大竹たかし裁判長は「常習的に野球賭博に加わった上、協会にうそを申告した。社会的影響は大きい」と指摘し「高い地位を考慮すれば、他の力士らの処分に比べて重すぎるということはない」と判断した。この訴訟を最後に琴光喜は係争を断念した。 2015年2月7日に、東京・品川のTKPガーデンシティで断髪式を行った。白鵬、日馬富士、鶴竜の3横綱や同部屋だった大関・琴奨菊ら相撲関係者に加え、やくみつる、鈴木おさむ、松村邦洋、デヴィ・スカルノら著名人も多く鋏を入れ、最後は現役時代の師匠だった佐渡ヶ嶽ではなく、相撲界に入ったときから憧れていた貴乃花が止め鋏を入れた。
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