過去の停留場構造
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「西15丁目停留場」の記事における「過去の停留場構造」の解説
旧一条線(旧停留場)/一条線 山鼻西線(現停留場)/旧山鼻西線 かつては現在の位置より北の南1条通にあった。山鼻西線は現在の路線とは異なり、やや東で一条線から南に向かって分岐し、現ルートの東にある二条小学校脇の細い通りを単線で南下してから現ルートに合流していた。停留場が現位置に移設されたのは、山鼻西線のルートが変更された1950年(昭和25年)である。
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過去の停留場構造
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1971年10月1日以前は、西4丁目線と豊平線・山鼻線の分岐点であり、東側に豊平線の停留場があったほか、7系統の折り返しも行われていた。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}また、「薄野」と漢字表記していた時期があった。[要出典] 1973年4月から2015年5月までの終端駅時代は、南4条通と駅前通の交差点の西側にあり、Y型分岐の2面1線となっていた。南側の乗車ホームの向かいに降車ホームがあった。単線部分には最大2両まで停車でき、臨時(貸切)電車や除雪電車の待避場所として使用されていた。複線部分では待避のための停車のみで、降車は不可。安全地帯にはロードヒーティングが施され、上屋が設置されていたが現在の構造とは異なり、他の停留所同様ごく簡略なものであった。 2015年5月から10月のループ化工事中は西5丁目の路上に2面1線の臨時ホームが設置されていた(線路は現内回り線を使用して折り返し、資生館小学校側の片亘り線で現外回り線に入っていく形であった)。
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過去の停留場構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 03:42 UTC 版)
1965年(昭和40年)の停留場統廃合までは交差点の東西南北に乗降場が1箇所ずつ配置され、名称は一条線・西4丁目線ともに「三越前」であったが、1965年に停留場の統廃合を行った際、西4丁目線は北側にまとめられて三越前停留場、一条線は西側にまとめられて西4丁目停留場を称するようになった。 1971年(昭和46年)の路線縮小までは交差点中央で一条線と西4丁目線が直交しており、札幌市電で唯一の複線同士が交差する場所であった。 この他、一条線の東行(北側)と西4丁目線の北行(西側)の軌道を結ぶ回送線があり、お花見シーズンや北海道神宮祭などの日に使われていた。 一条線の西4丁目停留場は駅前通(西4丁目通)との交差点のそれぞれ手前にあり、臨時8系統(関連項目を参照)が折り返していた。 一方、西4丁目線の三越前停留場は、南北両方向とも南1条通の北側の三越札幌店と不二家が向かい合う場所に位置しており、8系統が折り返していた。 また、交差点の南東角には信号扱所(信号手用の操車塔)があり、前述の回送線のポイント切り替えなども受け持っていた。信号が自動化された後も操車塔はしばらく残されていたが、後に撤去された。信号手廃止後は回送線を使う場合、車掌が一旦降車して、車載のレバーで路面に埋め込まれた転轍機を操作していた。 1971年(昭和46年)の三越前 - 札幌駅前間廃止から1973年(昭和48年)の西4丁目 - すすきの間廃止までは、交差点の西側と南側が新たに複線で結ばれ、西4丁目線と山鼻線、山鼻西線および一条線が循環運転を行っていた。
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