路上から武道館へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 03:59 UTC 版)
2011年12月1日、武道館公演のチケットを発売したが、チケットは売れなかった。すぐに売れたのは15,000人のうちの1割にも満たなかったという。そのため、武道館公演までの約1年間、今度はチケットを売るために、宮崎は路上に立ち続けた。 武道館を成功させるために、宮崎奈穂子の名前をもっと広めなくてはならない。同年12月14日、7thシングル『ねぇ…/恋のCHAPTER A to Z』の発売に際して、宮崎は50日間で5,000枚を手売りする目標を設定した。路上に出ると、CDを買ってくれる客に、「もし、よろしければ、もう一枚買っていただいて、どなたかに宮崎奈穂子のことを伝えていただけませんか?」と頼み込んだ。客の中には、一人で10枚買う者や、1枚でいいよと言いながらも「渡す人を思いついた」と言ってもう1枚買ってくれる者などもいたという。しかし、目標には300枚以上足らずに、期限の50日目を迎えた。 「こんなにたくさんの方のお力をいただいたのに、達成できなかった。こんな自分が武道館になんて立てるわけがない。」武道館サポーターズ達成後の最初の挑戦に挫折した宮崎に、プロデューサーは「だったら、そういう気持ちを歌にすればいいんじゃない?」と声をかけた。宮崎は、毎日泣きながら、自分の気持ちを紙に書き出していったという。 「彼女は武道館で歌う器じゃない」という周囲の声も聞こえてきた。ヒット曲があるわけでも、アーティストとして伝えるべきものがあったわけでもない。メジャーデビューすらしていない。「順番が逆」という言葉が胸に突き刺さった。逃げ出したくなった。プロデューサーに「私は、本当に武道館の舞台に立ってもいいのでしょうか? 私は本当に普通の子で、歌もうまくないし、名曲をもっているわけでもないし、武道館をいっぱいにする自信もありません。それに、歌で伝えられるメッセージももっていません。」「私にできることは、路上でがんばっているところを見てもらうぐらいしかありません」と打ち明けた。プロデューサーは「それでいいじゃないか。普通の女の子が、夢に向かってがむしゃらにがんばっている。その姿そのものが、メッセージを伝えることになるのではないか。」と答えた。 この言葉と、自分の気持ちを真っ直ぐに綴った曲『路上から武道館へ』ができたことで、迷いが吹っ切れ、再び笑顔で路上に踏み出すことができた。過去に名刺交換をした人に連絡を取り、企業などを訪問してミニライブを行う活動も、新たに始めた。ある企業の社長は、「100人集めるのは簡単だけど、ファンになってもらわないと意味がないから」と言って、社内でCDを流した上に、宮崎に講演の機会を与えた。ある生命保険会社の朝礼では、100人ほどの社員の前で『路上から武道館へ』を歌い、何人もの社員が涙を流して聴いてくれたという。2012年8月、アリーナ席のチケットを完売した。 2012年11月2日。18時より、小林奈々絵のパーソナリティによる特別番組『路上から武道館へ』がTOKYO FMにて放送された。19時、武道館公演の開演を迎えた。路上を模したステージには、ポストや自動販売機、看板などが設置されていた。宮崎は、いつもの路上ライブと同じように、背丈ほどあるキーボードを背負い、アンプやCDなどを積み上げたカートを押しながら、アリーナを歩いてステージに登壇した。ステージに立つと、キーボードのセットを組み立て始めた。ステージに設置された自動販売機でミネラルウォーターを買い、一口飲んでから、約6,000人の観客に、「やっと私の人生最大の夢がかないました。皆さんのおかげです」と挨拶をした。続いて、最初の曲『路上から武道館へ』をキーボードの弾き語りで演奏した。ステージからは、一番後ろのスタンド席まで、観客一人一人の顔がすべて見えた。様々な思い出がよみがえり、声を震わせ、涙をこらえた。サポートバンドが入った2曲目からは笑顔を見せ、就職活動や夢などがテーマの計13曲を歌唱した。アンコールを歌い切り、「私の人生最大の夢が今かないました。また新しい目標に向かって歩き出します。明日から私の原点である路上ライブをします。」と締めた。総立ちの客席からは「ありがとう」「おめでとう」の掛け声が上がった。
※この「路上から武道館へ」の解説は、「宮崎奈穂子」の解説の一部です。
「路上から武道館へ」を含む「宮崎奈穂子」の記事については、「宮崎奈穂子」の概要を参照ください。
- 路上から武道館へのページへのリンク