貨物新線開業から民営化直前まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 18:01 UTC 版)
「東海道貨物線」の記事における「貨物新線開業から民営化直前まで」の解説
1979年(昭和54年)10月1日の羽沢線および横浜羽沢駅開業と同時に、平塚駅 - 小田原駅間は、旅客線と貨物線を分離して線路別複々線となり、中止された大船駅 - 平塚駅間の三複線化を除き計画された線路増設および客貨分離がすべて完成、それに伴い鶴見駅 - 横浜駅 - 戸塚駅間の在来貨物線は使用停止され、東京貨物ターミナル駅は全面使用が開始された。翌1980年(昭和55年)10月1日には東海道本線と横須賀線との別線化による系統別の路線分離(通称:SM分離)が行われるとともに、これまで東海道本線や横須賀線の旅客列車に併結されていた荷物電車(クモニやクモユニなど)は、旅客列車と分離され、発着駅も東京駅から全列車が汐留駅に変更、荷物電車および羽沢線開業以前は品川駅から東海道旅客線経由で運行されていた汐留駅発着などの荷物専用列車(急行荷物列車)は、開業当初横浜地区の荷扱いの集約駅としての機能を意図された横浜羽沢駅を原則として経由するようになった。 前述のように、線路増設や客貨分離が実施され、貨物設備も近代化を図り、列車も高速コンテナ列車のフレートライナーなどを基幹として運行してきた東海道貨物線であるが、1967年(昭和42年)から1970年(昭和45年)をピークに年々減少の一途を辿ってきた貨物輸送量や貨物列車キロなどは、この東海道貨物線でも例外なく押し寄せ、羽沢線開業前の1978年(昭和53年)10月2日ダイヤ改正では、高速道路網の整備、トラック輸送の発達などにより、フレートライナーの減便(全国的には114本から84本と30本の減便)や直行列車の減便(全国的には64本から54本の10本の減便)など、鉄道貨物が大幅に削減された。 1984年(昭和59年)2月1日のダイヤ改正では貨物輸送方式をヤード系集積輸送を廃止して、直行輸送システムへ全面転換を図る抜本的大改正を実行(詳細は「1984年2月1日国鉄ダイヤ改正#貨物列車の大整理」を参照)。それに伴い、東京市場線(汐留駅 - 東京市場駅間)は廃止、ただし、設備は汐留駅構内扱いとして存続し、貨物輸送は1987年(昭和62年)1月31日まで継続された。その他、品鶴線他東海道・武蔵野線などへの一大中継操車場であった新鶴見操車場が、操車場としての機能が廃止され、新鶴見信号場へ改称根岸線磯子駅 - 大船駅間の貨物営業廃止により、根岸駅以西の定期貨物輸送が終了したため、高島線は再び貨物バイパス線としての機能を失うことになった。また、1985年(昭和60年)3月1日に汐留駅 - 芝浦駅間の支線が廃止され、同年7月27日には汐留駅を発着するカートレイン(後のカートレイン九州)が汐留駅 - 東小倉駅間で運行を開始した。また、同年12月1日には湘南貨物駅が廃止され、同駅は開業してからわずか16年で廃止された。 湘南貨物駅および鎌倉車両センター南側の跡地を利用した旅客新駅(仮称:「村岡新駅」)構想については「湘南貨物駅#駅跡地と旅客新駅構想」を参照 さらに、国鉄最後のダイヤ改正となった1986年(昭和61年)11月1日のダイヤ改正では、日本創設時の始発駅であり、旧・新橋停車場から約106年間続いた汐留駅が廃止、カートレインは恵比寿駅発着に変更された。荷物列車関連では、これまで東海道本線や横須賀線で運行されていた荷物電車や汐留駅発着などの荷物専用列車(急行荷物列車)の運行が全面的に廃止、横浜羽沢駅は荷扱いの集約駅としての取扱を廃止した。
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