負の世界遺産の例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/27 02:18 UTC 版)
負の世界遺産に公式な定義や分類が存在しない以上、何を負の遺産と見なすかについては論者によって異なる。以下では、世界遺産の関連文献で負の遺産と位置付けられるか、それに準ずる負の教訓を含む物件と分類されているものを登録年順に挙げる。 画像登録名国名基準概要 ゴレ島 セネガル (6) 奴隷貿易の拠点となった島。 アウシュヴィッツ=ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940年 - 1945年) ポーランド (6) ナチス・ドイツがユダヤ人を虐殺した強制収容所。 ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群 ガーナ (6) 奴隷貿易の拠点となった要塞が複数含まれる。 キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群 タンザニア (3) 牢獄の遺跡などを含む。 カルタヘナの港、要塞、歴史的建造物群 コロンビア (4)(6) 南米各地で略奪された先住民の財宝の積出港となった。 ポトシ市街 ボリビア (2)(4)(6) その過酷な労働から「人を食う山」と恐れられた銀鉱山の下で発達した町。2014年に「危機にさらされている世界遺産」に登録された。 トリニダとロス・インヘニオス渓谷 キューバ (4)(5) 奴隷の監視塔などが残るサトウキビ農園跡とその繁栄で築かれた建造物群が残る。 ソロヴェツキー諸島の文化的・歴史的建造物群 ロシア (4) ソロヴェツキー修道院はソ連時代に強制収容所に転用されていた歴史を持つ。 原爆ドーム(広島平和記念碑) 日本 (6) 広島への原爆投下で辛うじて残った広島県産業奨励館の残骸。核兵器の悲惨さを伝えている。 ロベン島 南アフリカ共和国 (3)(6) 人種隔離政策に反対した人達が収容された島。 ザンジバル島のストーン・タウン タンザニア (2)(3)(6) 東アフリカにおける奴隷貿易の拠点。 バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群 アフガニスタン (1)(2)(3)(4)(6) 重要な巡礼地であったことから、度重なる攻撃を受けた。 クンタ・キンテ島と関連遺跡群 ガンビア (3)(6) ゴレ島とともに奴隷貿易の拠点となった。 海商都市リヴァプール イギリス (2)(3)(4) 奴隷を含む三角貿易で栄えた港。※2021年に登録が抹消された。 モスタル旧市街の古い橋の地区 ボスニア・ヘルツェゴビナ (6) 民族・宗教対立によって破壊された橋。内戦終結後に再建された平和と共存の象徴でもある。 アープラヴァシ・ガート モーリシャス (6) 奴隷制度に代わる「契約移民労働」制度が始められた場所。地球規模での労働者の移動の先駆的な例という肯定的評価もなされている。 ル・モーンの文化的景観 モーリシャス (3)(6) 脱走した奴隷たちが自由を求めて戦った場所。 ビキニ環礁の核実験場跡 マーシャル諸島 (4)(6) 繰り返し行われた核実験により地域汚染を引き起こしたほか、1954年3月1日の核実験では多数の漁船や島民が放射性降下物(死の灰)を浴びた。 オーストラリアの囚人遺跡群 オーストラリア (4)(6) かつて大英帝国が築いた刑務所などの建造物群。
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