議事整理権をめぐる論点
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「参議院議長」の記事における「議事整理権をめぐる論点」の解説
議長による投票時間の制限 衆議院規則には議長権限で記名投票の投票時間を制限できることが明記されているが(衆議院規則155条の2)、参議院規則には同様の規定が明記されていない。しかし、先例では、このような権限は議事整理権に含まれるものと解されている。1998年(平成10年)8月12日に荒木清寛法務委員長解任決議案において、野党議員が通信傍受法案など組織犯罪対策三法案阻止を目的に牛歩戦術に出た時、斎藤十朗議長が議長権限で投票時間を制限した例がある。 副議長による散会宣言の無効 2004年(平成16年)6月5日、本岡昭次副議長が倉田寛之議長不信任決議案審議のため議長席に着いた途端に散会宣言を行った。副議長は民主党出身であり、年金関連法案の廃案を目的としていた民主党の意向によるものであった。しかし、参議院規則では散会は議事日程に記載した案件の議事を終った時に限っているため、事務総長は議事日程に記載した案件を終了しておらず散会は無効と判断、副議長にその旨を伝えたが、その制止にも関わらず、副議長と野党議員は議場から退席した。その後、衛視に守られながら登場した倉田議長が再び議長席に上がり、散会の無効を宣言した。 倉田議長は、議長不信任案が議題となっており、自身に対する議案であるため議長を一時的に務めることができず、また副議長も退席しているため、川村良典参議院事務総長が議長職を代行して仮議長の選挙を実施し、竹山裕が仮議長に就任。同仮議長の議事の元で議長不信任案の採決が行われ、否決された。否決後は倉田議長が議長職に復帰して議事を進め、年金関連法案は可決された。 副議長が参議院規則に反する散会宣言を行ったことは、中立であるはずの副議長が同法案の成立を阻止したい民主党の要請に従ったことと合わせて「参議院の権威が傷ついた」、「権利の乱用との批判を招きかねず『憲政史上例のない禁じ手』」等と批判を招いた。また、議長は自らに対する不信任決議案が議事になっている時に職務を行うことができない規則になっているにもかかわらず、衛視による排除という実力行使を伴って議長が議事整理権を行使した行為は、議長の職務権限の一部を制限する規則を無効化する越権という批判もあった。不測の事態が起った際には議院運営委員会理事の助言にもとづいて議長もしくは議長の職権を代行する副議長が議事整理を行う慣行があるにもかかわらず、議長・副議長とも与野党理事の協議をまたずに議事整理を行ったこと等、様々な問題を残した。
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議事整理権をめぐる論点
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「衆議院議長」の記事における「議事整理権をめぐる論点」の解説
議題採決前の散会宣言 衆議院で議長が散会できる時は議場を整理し難い時、議事日程に記載した案件の議事を終った時、散会動議が提出されて賛成された時である。しかし、2002年(平成14年)12月10日、綿貫民輔議長が決算採決という議題がまだ残っているにも関わらず散会宣言を行った。これは、議事進行原稿を一気に2枚にめくったことが理由とされる。議長は宣言後に議題が残っていたことに気づいて散会の無効を宣言したが、散会は有効とされた。結局、決算採決は12日に行われたが、その際に本会議冒頭で綿貫議長は10日の議事において不手際があったことを陳謝した。 後に、この事件は2004年(平成16年)6月5日、参議院本会議で議長席に着いた副議長による散会宣言の有効性に関して、議長による散会宣言の例として引用されることがある。これには、散会の取消しの手続が異なる、衆議院の前例は参議院の慣例に縛られない、などの反論がある。
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