評価と衝撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 09:09 UTC 版)
『大鴉』はエドガー・アラン・ポーの名声を高めた。人々は詩人と詩を同一視し、ポーに「大鴉」というニックネームをつけ、『大鴉』はすぐに各紙に転載され、模倣とパロディのネタとなった。ポーは当時大変な人気だったが、かといって、それによってポーが莫大な収入を得たわけではなかった。 「ニュー・ワールド」誌には「誰もが『大鴉』を読み、これを賞賛する。もっともなことだ。思うに、独創性と力に満ちているように見えるからだろう」と書かれた。「ザ・フィラデルフィア・インクワイラー」紙(en:The Philadelphia Inquirer)は『大鴉』を掲載するにあたって「美しい詩」という見出しをつけた。エリザベス・ブラウニングはポーにこう書いている。「あなたの『大鴉』はこちらイングランドで、戦慄とよべる大評判をもたらしました。友人たちのうちの何人かは恐怖に、何人かは響きのとりこになりました。「Nevermore」という言葉に取り憑かれたという人の話も聞いています」。ポーの人気は高まり、公衆の場やプライベートな社交の集まりでの『大鴉』の朗読と講演が求められた。ある文学サロンでは1人の客が、「(ポーによる)『大鴉』の朗読を繰り返し聞くことは……人生における一大事件である」と述べた。この人物は後に次のように回顧している。「彼は部屋がすっかり暗くなるまでランプの火を弱めた。それから、アパートメントの中央に立って朗唱した、とても旋律的な声で。ポーの朗読の及ぼす力は驚くべきもので、魔法の呪文が破られないよう聴衆は息をするのを控えるほどだった」 。 パロディが生まれたのはとくにボストン、ニューヨーク、フィラデルフィアだった。ポーならぬPoh!作『大鴉』や、大鴉ならぬ『七面鳥』、『ヨタカ』、『ガゼル』などである。弁護士アンドリュー・ジョンストンは『ケナガイタチ』というパロディに関心を持ち、それをエイブラハム・リンカーンに送った。リンカーンはそれを読んで笑ったことは認めているが、『大鴉』はそれまで読んだことがなかった。 作家では、ウィリアム・ギルモア・シムズ(en:William Gilmore Simms)とマーガレット・フラーが『大鴉』を絶賛したが、ウィリアム・バトラー・イェイツは公然と次のように非難した。「不誠実で悪趣味……その出来映えは韻律のトリック」。さらに超絶主義(en:Transcendentalism)のラルフ・ウォルドー・エマーソンは「私にはこの詩は何の意味もない」と言った。 1848年1月に「Southern Quarterly Review」誌に書かれた批評は、『大鴉』は「荒涼としたとめどない浪費」によって台無しで、ドアを叩く音やひるがえるカーテンなどの些細な仕掛けに感動するのは、せいぜい「つまらない怪談話をとてつもなく怖がる子供」ぐらいだろうと酷評している。「イブニング・ミラー」紙の匿名記者Outis氏(誰でもない、という意味)は、『大鴉』は無名の著者による『The Bird of the Dream』という詩の盗作だと示唆した。その証拠として、Outis氏は2つの詩の間の18カ所の類似点を挙げ、ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローに対する、ポーの盗作の非難への返答だとした。このOutis氏は、ポー本人でないとしたら、コーネリアス・コンウェイ・フェルトン(en:Cornelius Conway Felton)だと言われている 。ポーの死後、友人のトーマス・ホリー・シヴァース(en:Thomas Holley Chivers)は『大鴉』がシヴァースの詩の1編を盗作したものだと言った。 『大鴉』は現代の多くの作品に影響を与えている。その中には、ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(1955年)、バーナード・マラマッド『ユダヤ鳥』(1963年)、レイ・ブラッドベリ『親爺さんの知り合いの鸚鵡』(1976年)などがある。
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