評価と背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 15:08 UTC 版)
生涯の長い期間をケンブリッジで過ごしたニュートンは、そこに公表されなかった多くの資料を残し、これは「ポーツマス・コレクション」と呼ばれる。1936年その一部を入手した経済学者のジョン・メイナード・ケインズは、ニュートンが異端とされたアリウス派だったと分析し「恐ろしい秘密」とコメントした。三位一体説を否定する異端派であり、カトリック正統派の堕落を批判しながらプロテスタントとも距離を置いていたニュートンにとって、科学者として打ち立てた絶対時間・絶対空間などの概念と彼が辿り着いた独自の普遍史概念は矛盾する事は無く、『プリンキピア』一般注で述べられている通り至高なる唯一者の統治の下に世界は存在すると考えていた。ケインズは、1946年に講演「人間ニュートン」にてニュートンを、「最後の魔術師」と、「片足は中世におき片足は近代科学の途を踏んでいる」と評した。 ニュートンの『改訂古代王国年代学』は発表後、アルゴナウタイ遠征の年代同定が新しすぎる、または文献読解が正確では無いなどと、フランスで厳しい批判に晒された。その一方で賛同者も多く出現し、イギリスはもちろんフランスでもヴォルテールらが擁護した。この事は、ニュートンの普遍史解釈は決して突拍子の無いものではなく、受け入れられる余地を充分に持っていたことを物語る。ただし、エジプト史に大胆な短縮を施せたのは、当時まだヒエログリフは解読されておらず、また中国史問題も議論が沸騰する直前で、パスカルのように無視を決め込む事も可能だったためでもある。彼が自らの理論を構築できた背景には、このように時代の進展が一服していた幸運に恵まれた側面もある。
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