観光業の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 07:41 UTC 版)
ギリシャのケルキラ島などとともに、マヨルカ島では地中海の島嶼の中では早くから観光発展が始まった。19世紀にフランス人貴族がやってきて、主にパルマに滞在しながら島内の自然景観や文化的景観を楽しんだのが観光業の創始である。イギリス人やドイツ人は、特に冬季の避寒地にマヨルカ島を選んだ。19世紀中頃までの観光客数は年間数千人にすぎなかったが、20世紀に入ると観光客数が急増し、1920年代には地中海クルーズの目的地、またスペイン人にとっての新婚旅行の目的地となった。イギリス人によって始められたハイキングをスペイン人も楽しむようになり、ドイツ人は高地にある歴史的な町を目指すハイキングをブームに導いた。1930年代にはアメリカから海水浴と日光浴がもたらされ、ヨーロッパ人にとっては珍しかった肌を露出させた装いも、ファッションとして定着した。 第二次世界大戦後のヨーロッパでは島嶼観光がブームとなり、マヨルカ島のマスツーリズムは1950年代末に始まったとされる。1950年の観光客数は10万人だったが、1951年には20万人となり、1955年にイギリスで海外旅行の規制が緩和されるとイギリス人観光客が急増した。アメリカ人が冷戦下のヨーロッパ政策としてインフラ整備を開始し、イギリス人がホテル建設やリゾート開発などを行った。1960年代初頭にはパッケージツアーが始まり、1964年にスペイン政府が外国人観光客の増加を目指す観光政策を実施したことで、さらに国外からの投資や観光発展が進んだ。1964年末時点では918軒のホテルまたはペンションがあり、総ベッド数は40,908床に達した。ピーク時には2日に1軒のペースで宿泊施設が開業したとされる。 1970年代から1980年代には、イギリスだけでなくドイツの旅行会社によるパッケージツアーが増加し、イギリス人観光客とドイツ人観光客の目的地は分かれた。マガルフやサレナルなどでは英語表記の看板、プラヤ・デ・パルマやアルクーディアなどではドイツ語表記の看板を多く見ることができる。1960年代から観光客は一貫して増加傾向にあり、1960年代末から1970年代が最初のブーム期であるとされる。 1977年時点ではスペインの宿泊施設数は9,542軒だったが、バレアレス諸島には県別でスペイン最多の1,467軒があった。うち290軒は3つ星以上のホテルであり、宿泊施設の充実度は当時から際立っていた。1990年代は衰退期であり、カルビアでは競合相手の増加による観光客の減少、マスツーリズムではない個人旅行の増加、乱開発や環境問題などが起こったものの、マスツーリズムからサステイナブルツーリズムへの移行がうまくいった結果、1997年以降には数多くの観光関連の賞を受賞するようになった。 1950年代には落ち着いた内陸部や山間部への別荘の開発が始まり、1980年代には夏季の別荘滞在や退職者の長期滞在が増加した。2000年には貸別荘が39,000戸に達している。また、農場家屋を宿泊施設として利用するアグリツーリズムが盛んとなり、2010年時点で175軒の農場家屋がドイツ人の富裕層などに利用されている。 2000年時点で、バレアレス諸島では域内総生産(GRP)の60%以上を観光業が占めていた。1986年時点では島全体にリゾートが4つあったが、2000年には13に増加し、これらのリゾートは大量の真水を必要としている。2000年春季には水不足と水供給の問題が重なったことで、ドイツからの観光客が通常期の1/3にまで減少した。2013年には950万人がマヨルカ島を訪れ、バレアレス諸島全体には1300万人が訪れた。
※この「観光業の歴史」の解説は、「マヨルカ島」の解説の一部です。
「観光業の歴史」を含む「マヨルカ島」の記事については、「マヨルカ島」の概要を参照ください。
- 観光業の歴史のページへのリンク